西村 潔(にしむら きよし、1932年9月7日 - 1993年11月17日)は、日本映画監督東京都立川市出身。一橋大学卒業。俳優としても数本の出演作品を持つ。

にしむら きよし
西村 潔
生年月日 (1932-09-07) 1932年9月7日
没年月日 (1993-11-17) 1993年11月17日(61歳没)
出生地 東京都立川市
死没地 神奈川県葉山町
国籍 日本の旗 日本
民族 日本人
職業 映画監督
活動期間 1956年 - 1993年
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略歴 編集

東京都立立川高等学校に通い、在日米軍横田飛行場でアルバイトをしながら映画浸りの日々を送った後、一橋大学へ入学。同級生には石原慎太郎がいた。

1956年、大学を卒業後、東宝へ入社。千葉泰樹黒澤明堀川弘通成瀬巳喜男本多猪四郎川島雄三須川栄三古澤憲吾恩地日出夫らの助監督を経て、1969年、密室の人間群像を緊迫したサスペンスとして描いた黒沢年男主演のアクションスリラー『死ぬにはまだ早い』で監督に昇進。続く『白昼の襲撃』、『豹(ジャガー)は走った』(1970年)とともにその才気が注目され、東宝では異色のアクション監督の誕生と期待された。

千葉真一は西村とテレビドラマ『燃える捜査網』(1975年 - 1976年)[1]、『大非常線』(1976年)[2]テレビ映画東京大地震マグニチュード8.1』(1980年)と自身の主演作品でタッグを組んでおり、「(西村の)都会的でハードボイルドな作風がとてもよかった」と高く評価している[3]

映画衰退後はフリーランスとして、テレビドラマを数多く手がけた。限られた予算と時間で作品を成立させる腕前が高く評価されたが、1987年、自身が監督を務める記録映画の撮影中、入浴施設の女性専用エリアを隠し撮りしていた事実が発覚しスキャンダル化[4][5]。騒動以降はしばらく井藤 雄才(いとう ゆうさい)の変名で活動した。

1970年以降にマリンスポーツ、とりわけスクーバダイビングを趣味とし、藤竜也三浦友和をダイビングの世界へと導いた。また、無類のジャズ好きである一方、中島みゆきのファンとしても知られ、『大追跡』『探偵物語』などの劇中でも中島の楽曲をBGMとして多用していた。この間、西村の作品に多く就いていた助監督には三池崇史がいる。

1993年11月17日神奈川県葉山町の海岸で溺死体で発見され、捜査当局は自殺と断定。61歳だった。

作品 編集

映画 編集

テレビ 編集

Vシネマ 編集

記録映画 編集

イメージ作品 編集

出演 編集

  • 野獣死すべし(1959年) - はじきの安(ノンクレジット)
  • 野獣死すべし 復讐のメカニック(1974年) - 殺し屋

脚注 編集

  1. ^ 燃える捜査網”. 東映チャンネル. 2017年9月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年9月10日閲覧。
  2. ^ 大非常線”. 東映チャンネル. 2017年9月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年9月10日閲覧。
  3. ^ 黒田邦雄「ザ・インタビュー 千葉真一」『KINEJUN キネマ旬報』第1655巻第841号、キネマ旬報、1982年8月1日、131頁。 
  4. ^ 石原慎太郎 男の業の物語 第1回『友よさらば』”. GOETHE. 2019年2月5日閲覧。
  5. ^ 真魚八重子「マドンナの復讐」『別冊映画秘宝 90年代狂い咲きVシネマ地獄』、洋泉社、2014年10月26日、60頁。 

関連項目 編集