調川駅

長崎県松浦市調川町下免にある松浦鉄道の駅

調川駅(つきのかわえき)は、長崎県松浦市調川町下免にある、松浦鉄道西九州線である。

調川駅
ホーム(2008年5月)
つきのかわ
Tsukinokawa
前浜 (1.1 km)
(2.1 km) 松浦
地図
所在地 長崎県松浦市調川町下免
北緯33度21分6.53秒 東経129度43分38.72秒 / 北緯33.3518139度 東経129.7274222度 / 33.3518139; 129.7274222座標: 北緯33度21分6.53秒 東経129度43分38.72秒 / 北緯33.3518139度 東経129.7274222度 / 33.3518139; 129.7274222
所属事業者 松浦鉄道
所属路線 西九州線
キロ程 33.5 km(有田起点)
電報略号 ツキ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗降人員
-統計年度-
116人/日
-2017年-
開業年月日 1933年昭和8年)6月25日[1]
備考 無人駅
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日本有数のアジサバの水揚げ量で知られる松浦魚市場が駅近くにあることから「日本一のアジ・サバ水揚げ基地」の愛称が松浦鉄道によって付けられている[2]

歴史 編集

駅構造 編集

単式ホーム1面1線を有する地上駅

無人駅駅舎は無いが、待合室トイレ公衆電話が設置されている。

利用状況 編集

近年の1日平均乗車人員の推移は以下の通り。

乗車人員推移
年度 1日平均人数
1998 87
1999 87
2000 112
2001 92
2002 101
2003 85
2004 75
2005 75
2006 74
2007 74
2008 55
2009 63
2010 62

駅周辺 編集

松浦市調川町中心部に近いが、駅は表通りから奥に入った所になり、住宅は多くない。北側の海沿いには松浦地方卸売市場(松浦魚市場)と関連する施設や工場が広がる。

エピソード 編集

1943年4月5日夕方、当駅で脱線事故が発生した。引込線から引上げて来た貨物列車分岐器付近で脱線したもので、事故自体は大きなものでは無かったが、本線運行に支障が出るため大急ぎで復旧作業に取掛かった。しかし既に辺りは真っ暗であったことに加え、警戒警報(空襲警報)と燈火管制の影響で灯りを灯すことが出来ず、作業が全くはかどらなかった。このため当時の丸山七郎駅長は悩んだ末に灯りを灯し作業を完了させたが、その行為が近くの山上にあった軍の監視所に確認されてしまった。丸山駅長はその後、この事故と軍命令違反の責任をとって自らの出発合図で発車する機関車に飛込み自殺した。

この報は直ぐに上部へ伝わり、八田嘉明鉄道大臣から遺族に異例の称頌状と弔慰金が下付された。また国鉄職員で結成する国有鉄道門司地方奉公会と当時の調川村長の呼掛けにより、当時の額で約17,280円もの募金が集まり、養育費として遺族に贈られた他、その一部を使って1945年5月、駅構内に円柱状の称頌碑が立てられた。

国鉄時代、有人駅であった頃には毎年、駅職員が花を手向け、丸山駅長を慰霊する光景が見られたと言う。

隣の駅 編集

松浦鉄道
西九州線
前浜駅 - 調川駅 - 松浦駅

脚注 編集

  1. ^ a b c d 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、14頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ a b サブ駅名決定』(PDF)(プレスリリース)松浦鉄道、2015年5月11日。 オリジナルの2019年3月6日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20190306044015/http://matutetu.com/files/libs/75/201505150906295470.pdf2021年2月13日閲覧 
  3. ^ 「日本国有鉄道公示第425号」『官報』、1970年10月1日。
  4. ^ 「通報 ●鏡駅ほか18駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報日本国有鉄道総裁室文書課、1970年10月1日、14面。

参考文献 編集

  • 「九州の鉄道」倉地英夫・大谷節夫、西日本新聞社1980年
  • 鉄道九十年記念出版「鉄道碑めぐり」日本国有鉄道、1962年 P179-180「調川駅の殉難碑」:碑文の全文が記されている。

関連項目 編集

外部リンク 編集