長谷 幸輝(ながたに ゆきてる/こうき、1843年12月4日天保14年11月13日)- 1920年大正9年)4月11日)は、日本筝曲家、三味線奏者である。幼名は半太郎。

経歴・人物 編集

肥後の生まれ。幼年期に盲目となり、寺崎検校系の筝曲家あった雪之都に師事する。後に輝香に改名し、師匠の死去により、簾美之都の門人となった事で再度簾之都に改名した。

後に筑紫に移り、久留米宮原検校の門人の宮崎勾当の門人となり、地歌や三味線奏法を学んだ。これによって、師匠から勾当、後に検校に認定され、また名も幸輝と改名した。維新後の1877年(明治10年)に独立して、熊本での盲人音楽家として名を馳せた。

1893年(明治26年)には上京し、弟子と共に三味線のやそのの改良や工夫に携わり、九州系地歌を伝えて、多くの著名な盲人音楽家を輩出する等、一躍有名となった。墓所は熊本市小峰霊園。なお、現在の東京における地歌はほぼ全てが九州系である。没後から丁度100年経った2020年令和2年)2月23日には紀尾井ホールで長谷の没後100年を記念とした筝曲演奏会が開催された。

主な弟子 編集

出典 編集

外部リンク 編集