青木 澄十郎(あおき ちょうじゅうろう、1870年 - 1964年3月10日)は日本の牧師教育者である。

1870年(明治3年)に武蔵国岩槻(現・埼玉県さいたま市岩槻区)に生まれる。明治学院同志社神学校で学び、渡米してプリンストン神学校ノースウェスタン大学に留学する。

1902年(明治35年)同志社神学校旧約聖書担当教授になり、同志社女学校教頭を兼任する。当時、同志社神学校での日本人教授は青木と日野真澄の二人であった。1904年(明治37年)に日本基督神戸教会の牧師になり、直接伝道を始めた。

1919年(大正8年)には神戸教会は独立教会になり、神戸イエス・キリスト教会になり、青木は按手礼を返上して一信徒になり、文書伝道など独自の伝道を始めた。

1941年(昭和16年)日本基督教団の成立の際は、主恩教会として参加するが、青木は信徒のままで参加する。

参考文献 編集

  • 『日本キリスト教歴史大事典』教文館、1988年