面山 瑞方(めんざん ずいほう、1683年12月22日天和3年11月5日)- 1769年10月16日明和6年9月17日))は、江戸時代中期のである。曹洞宗。本姓は今村。

経歴・人物 編集

肥後の生まれ。15歳(16歳とも)で母と死別したことにより、出家する。後に江戸に出て卍山道白及び梅峰竺信の門人となった。

後に陸奥仙台に出て、損翁宗益と共に曹洞宗の興隆に携わり、黄檗宗の卍山と共に曹洞の中興を成し遂げた。1705年宝永2年)に相模老梅庵の住職となり、以後生まれ故郷の肥後の禅定寺清潭寺豊後醍醐寺若狭空印寺等の住職を歴任した。また、晩年には関東畿内を行脚し、「建康普説」といった新しい仏法を生み出し、多くの著書を残した。

1741年寛保元年)より若狭の永福庵に建立し、居住した後に上洛して1769年(明和6年)に建仁寺にて入滅した。入滅後も庶民から「婆々面山」と呼ばれ、今日も伝えられるようになった。

主な著作物 編集

主著 編集

  • 『正法眼蔵渉典録』- 全10巻。
  • 『広録』- 全26巻。

その他の著書 編集

  • 『紀行』
  • 『聞解』
  • 『訂補建撕記』
  • 『戒法』

出典 編集