韓昌祐
韓 昌祐(ハン・チャンウ、1931年2月15日 - )は韓国系日本人の実業家。大手パチンコ店グループ・マルハンの創業者で代表取締役会長。財団法人韓哲文化財団理事長。
来歴・人物
韓国慶尚南道泗川郡三千浦で小作農をする家庭に生まれる。別名、西原昌佑。1945年10月21日、 日本でレンガ工をしていた実兄の招きを受けて密航船に乗り込み、同年10月22日に日本へ密入国[1]。来日後、すぐに日本の戦後の混乱に紛れて、(本来は取得資格を有していなかった)特別永住者資格を取得。その後法政大学経済学部に進学し[1]、卒業後の1952年、就職先のなかった韓は峰山町(現・京丹後市)において20台でパチンコ事業をしていた義兄のところへ身を寄せ、その後に義兄からパチンコ事業を受け継いだ。1957年にはパチンコ事業で稼いだ資金を元手に喫茶店の経営、1967年には当時日本で流行っていたボウリングに目をつけ、ボウリング場事業を始めたが、行きすぎた拡張戦略をしたために1972年に60億円の借金を抱えることとなった。同年「西原産業株式会社(現;株式会社マルハン)」も設立しており、借金を抱えた韓は返済のために本業のパチンコ事業に本腰を入れ、必死な事業活動を展開したことで借金を完済。1995年には東京進出も果たし、マルハンを最大手のパチンコ店へと成長させるまでに至った[1][2]。
1960年代、韓は関西のJC(青年会議所)入会を拒否されたと述べている[1]。
パチンコ事業の収益金の1%を地域社会の奉仕に充てており、1999年11月には日本国政府より勲三等瑞宝章を叙勲している[1]。2002年の米国フォーブス誌が選定した世界億万長者ランキングでは日本国内の22位(個人資産1320億円)にランキングされている。
2002年に日本へ帰化。28歳のときに結婚した日本人の妻との間に5男2女をもうけ、4人の息子がマルハンに勤めている。長男の哲(チョル)を16歳のときにヨセミテ国立公園での研修中の事故で失っている[3]。
財団活動
1988年の夏に、在日朝鮮人の歴史研究家で、好太王碑改竄説で知られる李進熙に『季刊 三千里』(1975年 - 1988年)に続く次世代季刊誌の出版を依頼されたことから、1990年に私財を投じて、日本と朝鮮半島の歴史と文化の研究を支援する目的の「財団法人 韓国文化研究振興財団」を設立し理事長に就任した。韓が発行人、李進熙が編集長となり『季刊 青丘』(1989 - 1996)を発行し、後に日本と朝鮮半島の歴史と文化についての論文集『青丘学術論集』(1991 - 2005)を発行した。ただし、李進熙の歴史的主張には韓国に都合の良い主張が多く、学術的な誤りも判明していることから、財団の助成により発表された歴史研究が必ずしも全て歴史的に正しいものであるとは限らない[4]。
2005年には、亡くなった息子の名前の冠した「財団法人 韓哲文化財団」に名称を変更し、助成範囲を芸術やスポーツや福祉などの分野にも拡大し、個人や団体に対して助成基金を授与している。2010年春の助成金対象者には、「在日差別への憤りが行動の原点。(戦争での)加害者の立場であることをきちんと受け止めたうえで友好の土台を築いていきたい」との信念の下「韓国の田舎」を紹介するテレビ番組を企画中の黒田福美や、2007年に「被差別日系研究所」を設立した辛淑玉が選ばれ、授与式が開かれた[5]。
発言
- 「日本に永住するならば日本国籍を取得すべきだ。世界中のほとんどの人間が生活しているその国の国籍を取得している。在日韓国・朝鮮人は帰りもしないのに、日本国籍取得は嫌だというのはおかしい。在日韓国・朝鮮人というのは世界で最も立ち遅れた民族である。本国よりも立ち遅れた民族だ。と常に私は力説しているのです」[2]
- 「北朝鮮のやっていることは世界的に見て許されることではない。(当時韓国大統領で北朝鮮に融和的だった)盧武鉉はおかしい」[2]
- 「パチンコ経営をしている北朝鮮国籍の在日は、その収益を北朝鮮へ奉仕していることは事実」[2]
- 「マルハンのマルは『日の丸』でハンは『恨(ハン)』であり、日本に対する恨みから社名を付けたと韓国の新聞に書かれたが、誰がそんな変な意味の名前を付けるのか。パチンコ玉の丸さ、地球の丸さから『マル』を取り、それに私の名前の『韓(ハン)』をつけたのです」[2]
- 「世界中どこにでも差別はあります。日本人が韓国人を差別するといいますが、韓国人の中国人差別はどうだ、と訊くんです。それほど韓国では中国人を差別する。世界でチャイナタウンがないのは韓国だけです。差別に打ち勝つ、差別を撥ね返すたったひとつの道は、自分たち自身が教養と見識をもって社会貢献する。これしかないんです。」[6]
備考
- 資産1000億円超という日本有数の資産家だが、愛車は15年前のトヨタ・クラウンである。
- 本人は運転手付きロールスロイスを 妻は同じく運転手付きのベントレーを所有
- 「必要以上の金は使わない」「損は一円でもしてはいけない」が信条であり、人に何かをおごったりプレゼントする事はほとんどしないという。
栄典
- 日本
- 勲三等瑞宝章 (1999)
- 韓国
- 国民勲章冬柏章 (1984)
- 体育勲章青龍章 (1987)
- 国民勲章無窮花章 (1995)
参考文献
- 『十六歳漂流難民から始まった2兆円企業』 韓昌祐著, 出版文化社, 2008/3/7. ISBN 978-4883383887
脚注
- ^ a b c d 「底から這い上がって億万長者」…パチンコ業界ナンバーワン経営者の韓昌祐会長2005年6月9日中央日報
- ^ a b c d e 2005年5月18日放送 テレビ朝日『ワイド!スクランブル』
- ^ 26歳でパチンコ業開始 マルハン・韓昌祐会長インタビュー(朝鮮日報)
- ^ 広開土王碑や李進熙を参照
- ^ 人模様:日韓交流への思いさらに--黒田福美さん、辛淑玉さん(毎日新聞 2010年4月10日 東京夕刊)
- ^ 2011年11月18日 週刊ポスト
外部リンク
- <在日社会>◆在日商工人列伝◆パチンコ業界の最大手・韓昌祐 マルハン会長, 東洋経済日報, 2004/04/23.