鷹屋 清信(たかや きよのぶ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武士肥前国佐賀藩士、後に長州藩士。

 
鷹屋清信
時代 安土桃山時代 - 江戸時代初期
生誕 不明
死没 元和2年1月27日1616年3月14日
別名 弥七郎、七郎兵衛(通称
主君 龍造寺政家高房毛利秀就
肥前佐賀藩長州藩
氏族 龍造寺氏諫早氏)、鷹屋氏
父母 諫早清直
兄弟 清信清晴清次
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生涯 編集

龍造寺四家の一つである諫早鍋島家諫早清直の子として誕生。

慶長17年(1612年5月5日に父・清直が死去したため家督を相続して毛利秀就に仕えたが、元和2年(1616年1月27日に死去。清信には男子がいなかったため、弟・清次が後を継いだ。

脚注 編集

参考文献 編集