鷹屋 清次(たかや きよつぐ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武士長州藩士。

 
鷹屋清次
時代 安土桃山時代 - 江戸時代前期
生誕 慶長2年(1597年
死没 寛文13年8月2日1673年9月12日
別名 作次郎、清左衛門尉(通称
主君 毛利秀就綱広
長州藩
氏族 龍造寺氏諫早氏)、鷹屋氏
父母 諫早清直
兄弟 清信清晴清次
清如清胤
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生涯 編集

慶長2年(1597年)、龍造寺四家の一つである諫早鍋島家諫早清直の三男として誕生。慶長15年(1610年12月29日毛利就隆の加冠状を受けて元服する。

元和2年(1616年1月27日に兄・清信が男子のいないまま死去したため、弟の清次が家督を相続。元和5年(1619年12月26日毛利秀就から「清左衛門尉」の官途名を与えられる。

その後、毛利秀就、綱広の二代に仕え、寛文13年(1673年8月2日に死去。享年77。長男・清如が家督を相続した。

脚注 編集

参考文献 編集