龍野市

日本の兵庫県にあった市

龍野市(たつのし)は、兵庫県の南西部に位置した西播磨県民局管轄地域であった。

たつのし
龍野市
龍野城
龍野市旗 龍野市章
龍野市旗
1951年4月1日制定
龍野市章
1951年4月1日制定
廃止日 2005年10月1日
廃止理由 新設合併
龍野市新宮町揖保川町御津町たつの市
現在の自治体 たつの市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 兵庫県
市町村コード 28211-1
面積 69.75km2
(境界未定部分あり)
総人口 40,227
推計人口、2005年9月1日)
隣接自治体 姫路市相生市揖保郡新宮町、揖保川町、御津町、太子町
市の木 カシ
市の花 サクラ
龍野市役所
所在地 679-4192
兵庫県龍野市龍野町富永1005-1
外部リンク 龍野市Internet Archive
座標 北緯34度51分28秒 東経134度32分43秒 / 北緯34.857847度 東経134.545397度 / 34.857847; 134.545397座標: 北緯34度51分28秒 東経134度32分43秒 / 北緯34.857847度 東経134.545397度 / 34.857847; 134.545397
龍野市の位置
ウィキプロジェクト

地理 編集

隣接していた自治体 編集

姫路市相生市揖保郡太子町、揖保郡揖保川町、揖保郡新宮町

歴史 編集

播磨国風土記』によれば、龍野の由来は「『野見宿禰がこの地で没し、出雲から多くの人が来て、揖保川の石で墳墓を作るため野に立ち並んだ』という故事から『立野』と呼ばれ、『龍野』に変化した」、とされている。

龍野の地は江戸時代初期、姫路藩池田氏の領地であったが池田利隆の死に伴いこの地に本多政朝が入封、龍野藩が立藩した。以後、諸氏の支配や天領を経て、最終的には脇坂家10代200年の治世の後維新を迎えた。これにより城下町が形成され、龍野藩城下町となった。現在の市街地にも城下町の町割りが残る。

明治維新における廃藩置県の際には龍野県となり、後に姫路県(のち飾磨県と改称)に併合された。1876年8月に飾磨県が兵庫県に編入されて以降は兵庫県に属していた。

沿革 編集

行政 編集

歴代市長 編集

市政制度移行後の市長[1]

氏名 就任年月日 退任年月日
初代 堺吉次郎 昭和26年4月24日 昭和30年4月14日
2代-3代 衣笠文夫 昭和30年5月1日 昭和38年4月30日
4代 桑田虎夫 昭和38年5月1日 昭和41年9月25日
5代-7代 横尾橘治 昭和41年10月21日 昭和53年10月20日
8代-9代 原田薫 昭和53年10月21日 昭和61年10月20日
10代-12代 尾西堯 昭和61年10月21日 平成10年10月20日
13代-14代 西田正則 平成10年10月21日 平成17年10月1日

経済 編集

産業 編集

淡口醤油、手延べそうめん、皮革業、紫黒米「むらさきの舞」

電気 編集

龍野町にあった東洋楽器製造[2]は自家用電力の余剰電力を使用して1908年(明治41年)3月に電気事業の許可を受け1909年(明治42年)8月に龍野町と小宅村の一部に電気供給を開始した。1911年(明治44年)6月に姫路水力電気に電気事業を譲渡した[3][4]

姉妹都市・提携都市 編集

国内 編集

  • 高知県安芸市(平成元年4月姉妹都市提携)
    • 童謡「浜千鳥」「雀の学校」「春よ来い」などを作曲した弘田龍太郎の出身地
  • 東京都三鷹市(平成13年3月友好都市提携)
    • 龍野生まれの「赤とんぼ」作詩者三木露風が第二の故郷として後半生を過ごした武蔵野の地
  • 滋賀県湖北町(平成13年3月友好都市提携)
    • 近江国浅井郡丁野荘脇坂村(現在の湖北町)は旧龍野藩主脇坂氏の始祖である脇坂安治の出身地

地域 編集

教育 編集

現在、龍野市立の学校は全てたつの市立となっている。

小学校 編集

いずれの小学校も標準服を着用する。

中学校 編集

高等学校 編集

マスメディア 編集

交通 編集

鉄道 編集

山陽本線竜野駅は龍野市ではなく揖保郡揖保川町に所在していた。

道路 編集

名所・旧跡・博物館・祭事・催事 編集

旧市街(城下町) 編集

龍野市出身の有名人 編集

脚注 編集

  1. ^ 『みんなで築こう夢たつの 市政施行50周年記念』、兵庫県龍野市発行、平成13年3月、67頁
  2. ^ 『日本全国諸会社役員録. 明治41年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  3. ^ 『電気事業要覧. 第〔5〕回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  4. ^ 『中国地方電気事業史』中国電力、1974年、214頁

関連項目 編集

外部リンク 編集