12区 (パリ)

フランス・パリ市内の行政区

パリ12区 (12く、: 12e arrondissement de Paris) は、フランス首都・パリ市を構成する20の行政区のひとつである [1]。第12区、パリ12区ともいう。市の南東部に位置しており、ヴァンセンヌの森を含む。セーヌ川の北岸に面している。

パリ・12区の位置
地図
パリ・12区の位置

概要 編集

パリの12区は、市の南東部にある行政区。「ルイイ区 (Arrondissement de Reuilly)」と呼ばれることもある [2]セーヌ川の北岸に面しており、ペリフェリック (パリ環状道路)外のヴァンセンヌの森を含む。20区のうちでは面積が最も大きい。人口は、136,591人 (1999年。人口の推移等詳細については後述)。

 
フランス革命バスティーユ襲撃の発端となったフォーブール=サンタントワーヌ(Faubourg-Saint-Antoine)界隈。左側が11区、右側が12区。

区の名称は、市の中央部から時計回り螺旋を描くようにして各区に付けられた番号を基にしており、当区はその12番目にあたることから、「12区」と名づけられた。オペラ・バスティーユリヨン駅 (ガール・ド・リヨン)のほか、セーヌ川に沿った地域には経済・財政・産業省パリ交通公団本社 (RATP)シネマテーク・フランセーズベルシー・アレナベルシー公園などがある。また、ヴァンセンヌの森には、パリ動物園パリ花公園ヴァンセンヌ競馬場ジャック・アンクティル自転車競技場などがある。

地理 編集

 
パリ・12区の詳細地図

12区は、パリの南東部に位置している。セーヌ川の北岸に面しており [3]ペリフェリック (パリ環状道路)外に突出するヴァンセンヌの森を含む。面積は16.32 平方キロメートルで、20区のうちでは最も大きい。ヴァンセンヌの森を除くと、面積は6.38 平方キロメートルとなる。

北は、同じパリの行政区である11区に接し、北東の一部は20区に接している。南は、セーヌ川を挟んで5区13区に接している。5区に接しているのはオステルリッツ橋以西のわずかな距離で、以東は全て13区に接している。東は、ヴァンセンヌの森の突出部を除き、ペリフェリックに沿う形でパリ市の境界線が敷かれ、ヴァル=ド=マルヌ県サン=マンデシャラントン=ル=ポンの各自治体に接している。西は4区に接し、北西の角はバスティーユ広場となっている。

ヴァンセンヌの森は、ペリフェリックの東に向けて突出部を形成しており、西を除く全方向をヴァル=ド=マルヌ県の各自治体に囲まれている。北西はサン=マンデ、北はヴァンセンヌ、北東はフォントネー=スー=ボワ、東はノジャン=シュル=マルヌ、南東はジョワンヴィル=ル=ポン、南はサン=モーリス、南西はシャラントン=ル=ポンの各自治体に接している。

地形 編集

 
Quartier de Bercy(ベルシー地区)

隣接する自治体(行政区) 編集

地区(カルチェ) 編集

 
12区のカルチエ

パリの行政区は、それぞれ4つの地区(カルチェ)に区分されている。12区を構成する4地区のコードと名称は、次のとおりである。

住民 編集

人口 編集

12区の人口は、1962年には161,574人となり、ピークに達した。その後は減少を続けたが、1990年の130,257人を底に再び増加に転じ、1999年にはピーク時の15パーセント減の136,591人となった。2005年の推計では138,300人と見積もられており、人口の増加が見込まれている。

また、人口の減少とともに人口密度も減少しており、1999年の人口密度(区の面積からヴァンセンヌの森を除いて算出)は、ピーク時の15パーセント減の21,419人となっている。人口の推移の詳細は、次のとおりである。

区人口 市人口 区人口/市人口 区人口密度 市人口密度 備考
1872年 87,678 1,851,792 4.73% 13,749 21,303
1954年 158,437 2,850,189 5.56% 24,845 32,788
1962年 161,574 2,790,091 5.79% 25,337 32,097 人口がピークに達する。
1968年 155,982 2,590,771 6.02% 24,460 29,804
1975年 140,900 2,299,830 6.13% 22,095 26,457
1982年 138,015 2,176,243 6.34% 21,643 25,035
1990年 130,257 2,152,423 6.05% 20,426 24,761
1999年 136,591 2,125,246 6.43% 21,419 24,449
2005年 138,300 2,166,200 6.38% 21,687 24,920 人口は推計。

歴史 編集

1860年ティエールの城壁内のコミューンの全部または一部がパリに併合されたが、現在の12区付近では、ベルシー及びサン=マンデの各一部が併合された。このとき、これらの領域と旧行政区の8区の概ね半分(残り北半分は現在の11区となった。)を含む形で12区の区域の設定が行われた。

ヴァンセンヌの森は、1860年にナポレオン3世によってパリの土地となったが、公式に12区に併合されたのは「1929年4月18日デクレ」によってである。

 
ラ・ラペ河岸 (fr) のフランス財務省 (経済・財政・産業省)

政治・行政・司法 編集

主な官公庁・公共機関 編集

 
第12区役所
  • 経済・財政・産業省Ministère de l'Économie, des Finances et de l'Industrie
    • セーヌ川沿いラ・ラペ河岸通りにある。
  • 第12区役所Mairie du 12e arrondissement
    • 区のほぼ中央、ドメニル大通りからシャラントン通りが分岐する位置付近にある。

経済 編集

主な企業 編集

主な商店街 編集

健康・福祉 編集

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保健・医療 編集

  • サンタントワーヌ病院 (Hôpital Saint-Antoine) - フォーブール=サンタントワーヌ通り(Rue du Faubourg Saint-Antoine) 184番地にある。
  • キャンズ=ヴァン病院 (Hôpital des Quinze-Vingts) - シャラントン通り (Rue de Charenton) 24-34番地にある。
  • アルマン=トゥルソー病院 (Hôpital Armand-Trousseau) - 区内北東部、南北に走るドクトゥ=アルノル=ネテー大通り (Avenue du Docteur-Arnold-Netter) 26番地にある。同病院南側にはルネ=デュモン緑の遊歩道 (fr) が東西に横切る。同北側はナシオン広場からクール・ド・ヴァンセンヌが東西に走り、同東側はスールト大通りが南北に走る。

生活 編集

墓地等 編集

学術・研究 編集

研究施設 編集

教育 編集

大学等 編集

高等学校 編集

  • リセ・ポール=ヴァレリー (Lycée Paul-Valéry)

文化施設 編集

美術館・博物館 編集

動物園・水族館 編集

映画館・劇場 編集

体育施設 編集

陸上競技場・体育館など 編集

その他 編集

宗教施設 編集

教会・寺院 編集

観光・憩い 編集

 
ヴァンセンヌ城。厳密には12区に隣接する「ヴァンセンヌ」に属する。
近隣には、幼君ルイ15世の摂政オルレアン公フィリップ2世オルレアン家が所有したバニョレ城(Château de Bagnolet、20区内シャロンヌ地区及びバニョレ界隈)跡がある。

自然 編集

建築 編集

公園・緑地等 編集

 
ベルシー公園
 
同ベルシー公園内のパリ気象協会 (Agence Parisienne du Climat) 建物
 
ルイイ=ポール=ペルナン庭園 (ルイイ庭園)の橋 (Passerelle BZ/12)
 
プロムナード・プランテから見るパリ12区役所界隈

名所・娯楽 編集

旧跡・記念碑等 編集

交通 編集

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鉄道 編集

高速道路・有料道路 編集

道路 編集

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橋梁 編集

 
ベルシー河岸(ベルシー公園)、シモーヌ・ド・ボーヴォワール橋上13区側からの眺め

セーヌ川に架かる区内の橋は、次のとおりである(上流から順に列挙)。

広場・交差点 編集

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パリの「広場(プラス、Place)」は、しばしば2以上の道路が交差する場所に位置し、中心の「島」を道路が周回するロータリー状の交差点となっている場合が多い。中心の「島」部分は、オベリスク緑地等に利用されている場合もあり、エトワール凱旋門があるシャルル・ド・ゴール広場は世界的に有名である。12区の広場や交差点には、次のようなものがある。

  • ナシオン広場Place de la Nation
    • 20区境界とも至近の11区、12区の境界に位置している。「パリの東の玄関口」として、18世紀前半まで凱旋門があった。下記「バスティーユの象」が同広場に移設される予定だったが撤回された。のち第二帝政期に凱旋門が再建されたが取り壊され、現在は2つの塔と「共和国の凱旋像」が建つ。
  • バスティーユ広場Place de la Bastille
  • フェリックス=エブエ広場Place Félix-Éboué
    • 広場中央の「水城の泉 (fr)」は、当初1869年にレピュブリック広場に設けられたが、普仏戦争パリ・コミューン第三共和政成立の混乱のさなか、ラ・ヴィレット屠畜場fr, 現在のライオンの泉広場 (fr))に移され牛の飲料場に用いられ、1880年に同フェリックス=エブエ広場(旧ドメニル広場)に移設された。
      同広場には、区内を右斜め下に走るドメニル大通り等が接続する。同広場から西へルイイ大通り、ベルシー大通りと進むと、ベルシー駅、ベルシー公園北側をなぞりセーヌ川をベルシー橋で跨ぎ13区に入る。同13区内を東西に走るヴァンサン=オリオール大通りに続き同区中心部イタリー広場に至る。同様に同フェリックス=エブエ広場からテール通りを西へ進むと、ベルシー公園、セーヌ川をトルビアック橋で越え13区内中央を東西に走るトルビアック通り、さらに14区のアレジア通り等に続いてゆく。旧名称は"ドメニル広場"。

港湾 編集

著名な出身者 編集

芸能 編集

著名な居住者 編集

政治 編集

文化 編集

ゆかりの人物 編集

芸能 編集

脚注 編集

  1. ^ フランス語の 「12e 」 = 「douzième 」 は、英語の「twelfth 」 に相当する序数。「第12の」 「12番目の」を意味する。したがって、原語の「12e arrondissement 」を直訳すると「第12区」となる。
  2. ^ レジフランスLégifrance). “地方自治一般法典 (Code Général des Collectivités Territoriales (CGCT))” R2512-1条. 2008年6月26日閲覧.
  3. ^ セーヌ川の右岸にあたる。
  4. ^ JTBパブリッシング編 『ワールドガイド ヨーロッパ2・パリ』、JTBパブリッシング、2006年、p.147.
  5. ^ パリで一番安い市場 アリーグル市場トリップアドバイザー 2015年、「 アリーグル広場」 パリナビ 2013年4月18日
  6. ^ Eric Hazan The Invention of Paris: A History in Footsteps pp. 122, 131–132, Verso Books, 2011-05-23
  7. ^ "Paris 1876-1939 : les permis de construire (permis de construire du 19 juin 1934)". parisenconstruction.blogspot.fr. 2012年7月9日閲覧.
  8. ^ "Biographie de Martine Aubry". www.gala.fr. 2012年7月9日閲覧.
  9. ^ « À la “maison de sons” de Pierre Henry, dernière visite avant démolition », www.telerama.fr, 20 février 2018.

参考文献 編集

  • MICHELIN, ed (2007) (フランス語). Plan Atlas 56 – Paris du Nord au Sud –. MICHELIN. ISBN 978-2-06-710591-1 (パリ市内の詳細地図。)

関連項目 編集

外部リンク 編集