スケジュール及び勝者
編集
|
開催日
|
開催場所
|
イベント名
|
優勝者
|
第1戦
|
3月8日 - 9日
|
鈴鹿サーキット
|
全日本BIG2&4レース
|
松本恵二
|
第2戦
|
4月19日 - 20日
|
富士スピードウェイ
|
CARA International Cup 日本インターナショナルフォーミュラ選手権レース大会
|
ジェフ・リース
|
第3戦
|
5月10日 - 11日
|
西日本サーキット
|
全日本F2オールスターレース
|
松本恵二
|
第4戦
|
5月24日 - 25日
|
鈴鹿サーキット
|
John Player Special トロフィーレース
|
中嶋悟
|
第5戦
|
7月5日 - 6日
|
鈴鹿サーキット
|
鈴鹿ゴールデントロフィー自動車レース
|
星野一義
|
第6戦
|
8月9日 - 10日
|
富士スピードウェイ
|
RRC富士F2チャンピオンズレース
|
マイク・サックウェル
|
第7戦
|
9月27日 - 28日
|
鈴鹿サーキット
|
鈴鹿グレート20 2&4レース
|
星野一義
|
第8戦
|
10月31日 - 11月2日
|
鈴鹿サーキット
|
JAF鈴鹿グランプリ自動車レース
|
星野一義
|
シリーズポイントランキング
編集
トピックス
編集
- JTは1986年から、キャビンのプロモーション活動を松本恵二をイメージキャラクターとして行うことになり、CABIN RACINGとして全日本F2、GCシリーズに松本と共に参戦を開始した。キャビンのプロモーション活動はTVCF等を含む大規模なもので、松本は時の人となり同年のベストドレッサー賞を受賞した。
- 前年からジェフ・リース、松本恵二を開発ドライバーとして実戦開発が行われていた5バルブエンジン、ヤマハ・OX66の市販が開始され、ホンダに対して競争力の落ちていたBMWエンジンユーザーがBMWに変えてOX66エンジンを使用した。OX66は開幕から3連勝を記録するが、ホンダはエンジンを電子制御化[1]してこれに対抗し5連勝を記録。ホンダユーザーの中嶋悟が全日本F2を3連覇、星野一義が鈴鹿F2のタイトルを獲得した。
- 中嶋悟はこの年よりイギリス・ロンドン郊外に生活拠点を移し、欧州での経験値を高めるためとスーパーライセンスの獲得を確実なものとするために国際F3000選手権への本格参戦を開始しランキング10位を記録した。全日本F2にはその都度来日して参戦する体制となっていた[2]。
- 元F1ドライバーのマイク・サックウェルがノバ・エンジニアリングから全日本F2に参戦した。ノバは前年型のマーチ・85Jの空力を修正したものを主力マシンとして使用した。空力修正は主にマシン後部に重点が置かれ、リヤカウルの側面を絞ってディフューザー上面の空気の流れを改善。またリヤサスペンションのロワアームに、ウイング状のカバーを装備しダウンフォースを獲得している[3]。サックウェルはこの改良型85Jに乗って第6戦・富士で優勝した。
- レイトンハウスは4月の萩原光の事故死の後活動を中断していたが、第5戦・鈴鹿からイヴァン・カペリをドライバーとして活動を再開した。
- ^ 『HIGH ANGLE 10 マーチ86J/ホンダ』、「Racing On」No.010、武集書房、1987年。
- ^ 誰の為でもなく 吉井妙子 GPX 1991日本GP直前情報号 9頁 山海堂 1991年10月23日発行
- ^ 「オートスポーツ」 No.444、p.26、三栄書房、1986年。
参考資料
編集