Apex株式会社(アペックス)は、日本自動車チューニングパーツメーカー。本社は、愛知県豊明市。自動車パーツブランド表記はA'PEXi

Apex株式会社
APEX co.,Ltd
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
470-1141
愛知県豊明市阿野町三本木17番1
北緯35度2分28.1秒 東経137度0分27.6秒 / 北緯35.041139度 東経137.007667度 / 35.041139; 137.007667座標: 北緯35度2分28.1秒 東経137度0分27.6秒 / 北緯35.041139度 東経137.007667度 / 35.041139; 137.007667
設立 2007年平成19年)4月
業種 輸送用機器
法人番号 5021001017233
事業内容 自動車部品の開発、製造および販売
代表者 代表取締役社長:森孝義
資本金 1,175万円
従業員数 17名
決算期 毎年3月31日
主要株主 中京車体工業株式会社100%
関係する人物 長谷川勇
外部リンク www.apexi.co.jp
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事業所 編集

沿革 編集

  • 2007年平成19年)
    • 4月2日 - 設立。
    • 12月 - 「Apexi」ブランド製品の開発、製造および販売開始。
  • 2009年(平成21年)1月 - 東京オートサロン出展。
  • 2010年(平成22年)6月 - 有機ELコマンダー付P-FC発売。
  • 2011年(平成23年)
    • 6月 - スマートアクセルコントローラー(SAC)発売。
    • 7月 - Apex China(長春市頂点商貿有限公司)設立。
    • 9月 - N1 evolution マフラー B-type 発売。
    • 11月 - ハイブリッドメガホンエボリューションマフラー C-type 発売。
  • 2012年(平成24年)
    • 6月 - DIN3メーター 発売。
    • 10月 - 本社を神奈川県相模原市から東京都八王子市に移転。
  • 2013年(平成25年)6月 - エアフロ変換アダプタ 発売。
  • 2014年(平成26年)
    • 5月 - INTAKE D Plus 発売。
    • 5月 - N1 evolution EXTREME マフラー 発売。
    • 5月 - FULL EXHAUST SYSTEM 発売。
  • 2020年令和2年)5月 - 中京車体工業株式会社の100%子会社になる(代表者:森孝義)。本社を名古屋市緑区鳴海町字下汐田に移転。
  • 2022年(令和4年)5月 - 本社を愛知県豊明市阿野町三本木17番1に移転。

概要 編集

「株式会社アペックス」は、1992年(平成4年)4月1日創業。資本金は4億1417万8千円。

創業者である長谷川勇は、かつては自動車用チューニングパーツメーカーとして知られるエッチ・ケー・エスを、実兄である長谷川浩之と共同経営していた。

しかし、兄弟間の会社運営に対する方針の相違により、一部の同社社員と共に「株式会社アペックス」を神奈川県厚木市に設立。自動車用マフラーの開発・製造から事業を開始した。

自動車用チューニング部品専業であったが、後にディーゼル環境事業を設立し、2005年(平成17年)1月5日に「株式会社アペックス」から「アペクセラ株式会社」に改称した(資本参入した海外企業の社名とシャッフルしたリネームであったと言われる)。

しかし、経営の多角化が徒となり次第に業績が悪化し、事実上の倒産に至る。

2007年(平成19年)2月に約53億円の負債を抱え民事再生法の適用を受け[1]、同年12月1日から自動車パーツ部門の業務譲渡を受けたApex株式会社が別組織として発足した。

ディーゼル環境部門は株式会社ESRに譲渡された。倒産に至った創業会社は、破産管財人に委ねられ清算された。

2020年(令和2年)5月22日株式譲渡によりバス特種用途自動車架装メーカー中京車体工業株式会社の100%子会社となり、代表者が中西暁から森孝義になった。

特徴 編集

古参として有名なHKSの元エンジニアが創業当時多数在籍していた背景から、高い技術のチューニングパーツメーカーとして知られ、マフラー(スーパーメガホン・N1マフラー)、車高調(N1ダンパー)、ECU(パワーFC。初めて車種ごとの基礎データを入力しその後のセッティングを簡易化させた)等のパーツ、ガスケットやターボチャージャー等のエンジンチューニングに関する物が知られている。「株式会社アペックス」時代には、ブレーキ系パーツも手掛けており、ブレーキローター(スーパーブレーキローター等)やブレーキパッド(N1ブレーキパッド等)も商品展開されていた。

環境問題や合法性が問われる時代に入り、対策品をいち早く開発することでも知られており、車内から排気音を調整できるECVやスポーツ触媒、排圧感応式のアクティブサイレンサー等が発売された。

アペクセラ時代には、自動車関連事業への依存から脱却するために、住宅セキュリティーの分野も手がけていた[2]

レース活動 編集

D1グランプリ開始時から参戦していた古参であったが、多角経営での収益が圧迫し会社の業績が悪化した為2006年(平成18年)に撤退した。ドライバーは今村陽一。車種は初年度がトヨタ・アルテッツァ(SXE10)。翌年からマツダ・RX-7(FD3S)。初年度は成績が低迷したが、翌年マシンチェンジをしてから成績が上がり、2003年(平成15年)にシリーズ優勝、翌年準優勝を記録している。SUPER GT(旧:全日本GT選手権)には1998年(平成10年)からトヨタ・MR2で参戦(当時アペックスのレーシング部門であった現在のAprが担当)。翌年クラス優勝を飾り2000年(平成12年)からオートバックスと手をとりトヨタ・MR-Sにスイッチした。

脚注 編集

外部リンク 編集