横山 勝三郎(よこやま かつさぶろう、1854年7月1日安政元年6月7日[1])- 1905年明治38年)1月29日[2])は、明治時代の政治家衆議院議員(1期)。

経歴

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白井見甫の第二子として和泉岸和田藩南郡春木村(大阪府南郡北掃守村、泉南郡春木町を経て現岸和田市)に生まれ、1867年慶応3年2月)同国泉郡宇多大津村(大津村を経て現泉大津市)の横山氏を継いだ[1]。幼くして森田節斎の門に入り儒学を修める[1]1872年(明治5年)6月、宇多大津村戸長となり、1874年(明治7年)5月、下条大津村戸長に転じた[1]。同年8月、戸長を辞し、大区小区制が敷かれると第一小区副戸長となった[3]

1881年(明治14年)大阪府会議員に当選[4]。学務委員、所得税調査委員、常置委員、徴兵参事員などを歴任した[4]。ほか、南海鉄道、大阪農工銀行各取締役なども務めた[2]1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では大阪府第8区から出馬し当選[2]弥生倶楽部に所属し衆議院議員を1期務めた[2]

脚注

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  1. ^ a b c d 篠田 1891, 92頁.
  2. ^ a b c d 衆議院、参議院 編 1962, 547頁.
  3. ^ 篠田 1891, 92-93頁.
  4. ^ a b 篠田 1891, 93頁.

参考文献

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