アルボイーノ1世・デッラ・スカラ
アルボイーノ1世・デッラ・スカラ Alboino I della Scala | |
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配偶者 |
カテリーナ・ヴィスコンティ(Caterina Visconti) ベトリーチェ・ダ・コレッジョ(Betrice da Corregio) |
家名 | スカリゲル家 |
父親 | アルベルト1世・デッラ・スカラ |
出生 |
1284年 ヴェローナ(イタリア) |
死亡 |
1311年11月29日 ヴェローナ |
アルボイーノ1世・デッラ・スカラ(Alboino I della Scala、1284年 – 1311年11月29日[1])は、1304年から死すまでヴェローナ領主(Lords of Verona)であった、デッラ・スカラ家(スカリゲル家)(Scaliger)の人物。多くの同家の人物と同様にギベリン側に立った。
先々代のヴェローナ領主でもあるアルベルト1世・デッラ・スカラの息子である。1298年、マッテーオ1世・ヴィスコンティ(Matteo I Visconti)の娘であったカテリーナ・ヴィスコンティと結婚し、1304年に兄であったバルトロメオ1世・デッラ・スカラが亡くなった後、ヴェローナ領主および神聖ローマ帝国の摂政になった。1306年、アルボイーノはギルベルト3世・ダ・コレッジョ(Gilberto III da Correggio)の娘であるベトリーチェと再婚した。[1]
その死後、領主位は弟であったフランチェスコがカングランデ1世・デッラ・スカラ(Cangrande I della Scala)とその息子アルベルト2世・デッラ・スカラの二人によって引き継がれ共同統治となった。アルボイーノの次男マスティーノも1329年にアルベルトが亡くなった後、マスティーノ2世・デッラ・スカラとしてヴェローナを統治したという。[1]
アルボイーノ1世・デッラ・スカラ
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先代 バルトロメオ1世・デッラ・スカラ |
ヴェローナ領主 1304–1311 |
次代 アルベルト2世・デッラ・スカラおよび カングランデ1世・デッラ・スカラ |
参考文献
編集- ^ a b c treccani.it .