アル・アトキンス
アラン・ジョン・"アル"・アトキンス(Alan John Atkins、1947年10月14日 - )は、イギリスのミュージシャン。ヘヴィメタルバンド、ジューダス・プリーストの創設者として知られる。
アル・アトキンス Al Atokins | |
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原語名 | Alan John Atokins |
生誕 | 1947年10月14日(77歳) |
出身地 |
イギリス ウェスト・ミッドランズ ウェスト・ブロムウィッチ |
ジャンル |
ヘヴィメタル ブルース・ロック ハードロック |
担当楽器 | ボーカル |
活動期間 | 1964–現在 |
共同作業者 |
ジューダス・プリースト ライオン サイモン・リース ホーリー・レイジ アトキンス・メイ・プロジェクト |
経歴
編集1947年、ウェストブロムウィッチで生まれる。ビートルズやローリング・ストーンズに影響を受けて16歳のころに学校の同級生と初めてバンドを結成する。[1]
その後、ブルーノ・ステーペンヒル、アルバート・ヒントンらと「ザ・リアクション」を結成し、アトキンスはボーカルとドラムを担当した。[1]
解散後、彼とステーペンヒルの2人はジョン・パートリッジらとザ・シュガー・スタックを結成。 バンドは1年で解散し、アトキンスとステーペンヒルはバリー・シビル、ジョンとジムのペリー兄弟らとハーフ・ブリード(後にチャプターズ・オブ・ライフ、ザ・ジャグ・ブルース・バンドに改名)を結成[1]
ザ・ジャグ・ブルース・バンド解散後の1969年、彼はステーペンヒル、かつて2人と共に活動したジョン・パートリッジ、ジョン・ペリーとバーミンガムでジューダス・プリーストを結成。しかし、妻と幼い娘を養うアトキンスは、1973年5月に仕事に専念するためにジューダス・プリーストを脱退した[2]。アトキンスの後任にはロブ・ハルフォードが加入した。アトキンスが脱退したため、現在オリジナル・メンバーは残っていない(ブルーノ・ステープンヒルとジョン・パートリッジは1970年に脱退、ジョン・ペリーは1969年に自殺)。
2012年、アトキンスはギタリストのポール・メイと共に、アトキンス・メイ・プロジェクトを結成[2]。2011年5月21日付のプレスリリースによると、アトキンスはヘヴィ・メタル・オペラ・プロジェクトの「ライラカ」にセッション・ヴォーカルとして参加する予定だという[3]。
ディスコグラフィー
編集ソロ名義
編集- Judgement Day (1990)
- Dreams of Avalon (1991)
- Heavy Thoughts (1994) (released in 2003 with two bonus tracks)
- Victim of Changes (1998)
- Demon Deceiver (2007)
- Demon Deceiver... Plus (re-release with two bonus tracks, 2009)
- Reloaded (re-recorded "best of", featuring Ian Hill, Ralf Scheepers, Roy Z and more special guests, 2017)
ホーリー・レイジ
編集- Holy Rage (2010)
アトキンス・メイ・プロジェクト
編集- Serpents Kiss (2011)
- Valley of Shadows (2012)
- Empire of Destruction (2014)
- Anthology (compilation, 2015)
- The Final Cut (2020)
ゲスト・セッション
編集- Lyraka Volume 2 (not yet released)
脚注
編集- ^ a b c http://www.brumbeat.net/judaspri.htm
- ^ a b Junior, Chris M. JuniorChris M. (2012年2月11日). “Ex-Judas Priest Singer Says Band Could've Sounded Like AC/DC If He Stuck Around” (英語). Ultimate Classic Rock. 2023年11月10日閲覧。
- ^ “Bravewords.com > News > Original JUDAS PRIEST Singer AL ATKINS Joins LYRAKA Lineup”. web.archive.org (2011年5月25日). 2023年11月10日閲覧。