イエローバッジ英語:Yellow badge, yellow patches)とは、中世イスラム帝国や、中世から近世近代に至るヨーロッパにおいてユダヤ人に着用が求められたバッジ記章)である。「ジューイッシュバッジ(Jewish badges、ユダヤ人のバッジ)」とも呼ばれ、ドイツ語ではJudenstern(直訳すると「ユダヤの星」)という。1939年以降、ナチスドイツにおいても着用が強制された。このバッジを着用すると宗教的民族的識別がなされることからバッジオブシェイム(badge of shame、恥辱のバッジ)とも言われることもある[2]

ナチス時代のバッジ「このサインを着ている者は国民の敵である」[1]

イスラム 編集

中世イスラム帝国においてユダヤ人と非イスラム教徒を識別するために特別な衣服を着ることを要請する政策は8世紀ウマル2世の時代に開始されたとみられる。アッバース朝ムタワッキルの時代にも再び同じ政策が実行され、以降何世紀にも渡って継承された[3][4]バグダッドのゲニザ(ユダヤ教の資料施設)に伝わる1121年の記録にも以下の記載がある[5]

黄色いバッジを2つ、1つは頭に、もう1つは首につけなければならない。さらに各ユダヤ人は「dhimmi」と書かれた(3グラムの)鉛の塊を首からさげなければならない。また、男性は腰にベルトも締めなければならない。女性は赤と黒の靴を履き、首か靴に小さな鈴をつけなければならない。[6]

ヨーロッパ 編集

中世ヨーロッパ 編集

中世ヨーロッパのカトリック世界においてユダヤ教徒(ユダヤ人)とイスラム教徒はキリスト教徒と識別するための衣服の着用を強制された。

インノケンティウス3世は1215年の第4ラテラン公会議において、ユダヤ教徒とイスラム教徒は、識別できる衣服(ラテン語でhabitus ハビトゥス)を着用しなければならないとカノン68条文で規定した[7]

第2次世界大戦中 編集

 
ユダヤの星が付けられた腕章を身に着けている少年。

1939年にナチス・ドイツがポーランドに侵攻した後、ポーランド総督府のもとでユダヤ人に特徴的なバッジの着用を義務づける様々な地方布告が出された。ヴァルテラント帝国大管区では、左胸と背中にダビデの星の形をした黄色いバッジの着用が義務化された。

ヘブライ文字に模したフォントで刻まれたJude(ドイツ語で「ユダヤ人」の意)の文字とともにダビデの星を着用する義務は、その後(ラインハルト・ハイドリヒが署名した1941年9月1日に公布された法令より)第三帝国とボヘミア・モラヴィア保護領の6歳以上のすべてのユダヤ人に着用が義務化され、その後は徐々に他のドイツ占領地でも導入され、その地の言語が使われるようになった(フランス語ではJuif、オランダ語ではJood等)。

ギャラリー 編集

脚注 編集

  1. ^ Parole der Woche, 1 July 1942
  2. ^ D'Ancona, Jacob (2003). The City Of Light. New York: Citadel. pp. 23–24. ISBN 0-8065-2463-4. "But the wearing of a badge or outward sign — whose effect, intended or otherwise, successful or not, was to shame and to make vulnerable as well as to distinguish the wearer…" 
  3. ^ Antisemitism: A Historical Encyclopedia of Prejudice and Persecution, Volume 1 By Richard S. Levy P:779
  4. ^ Jewish Badge”. www.jewishvirtuallibrary.org. 2021年3月15日閲覧。
  5. ^ Johnson, Paul (1987). A History of the Jews. Harper & Row. pp. 204–205. ISBN 978-0-06-015698-5 
  6. ^ Johnson, Paul (1987). A History of the Jews. New York: Harper & Row. pp. 204–205. ISBN 978-0-06-015698-5. https://archive.org/details/historyofjews0000john 
  7. ^ [1]