イジャスラフ・グレボヴィチ

イジャスラフ・グレボヴィチロシア語: Изяслав Глебович、? - 1182年あるいは1183年、1184年[1])はユーリー・ドルゴルーキーの孫、グレプの子である[1]

『ノヴゴロド第一年代記』の1183年(『イパーチー年代記』では1182年)[2]、叔父のスーズダリ公フセヴォロド(フセヴォロド・グネスド)がヴォルガ・ブルガールへの遠征を行った。イジャスラフもこれに参加するが、大いなる城市と記されたブルガール人の都市・ビリャルを攻めた際に矢を受け、重傷を負った[3]。遠征の最中、矢傷が元でツェフカ川(現アクタイ川(ru)と推測される[4])で死亡した。遺骸は舟でウラジーミルへ運ばれ、同地の生神女就寝大聖堂に埋葬された[5]

出典編集

  1. ^ a b Изяслав Глебович, сын Глеба Георгиевича // Энциклопедический словарь Брокгауза и Ефрона(ブロックハウス・エフロン百科事典
  2. ^ 中沢(2018) p182
  3. ^ 中沢(2018) p184
  4. ^ 中沢(2018) p183
  5. ^ 中沢(2018) p186

参考文献編集

  • 中沢敦夫ら「『イパーチイ年代記』翻訳と注釈(8) ―『キエフ年代記集成』(1181~1195年)」富山大学人文学部紀要第68号、2018年