ウィガン鉄道事故
ウィガン鉄道事故(英: Wigan rail crash)は、1873年8月3日の未明にイングランドのウィガン・ノース・ウェスタン駅で北行きの小旅行列車に発生した鉄道事故である。脱線した客車が駅舎に衝突し乗客13人が死亡した。
ウィガン鉄道事故 Wigan rail crash | |
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発生日 | 1873年8月3日 |
発生時刻 | 01:20 |
国 | イングランド |
場所 | ウィガン・ノース・ウェスタン駅 |
路線 | ロンドン・アンド・ノース・ウェスタン鉄道 |
原因 | 速度超過による脱線 |
統計 | |
列車数 | 1本 |
死者 | 13人 |
負傷者 | 30人 |
事故の経過
編集ヴィクトリア朝時代には、裕福な人たちの間では毎年スコットランドで休暇を過ごすのが人気であった。これはヴィクトリア女王がバルモラルへ訪問したことによるものであった。1873年8月2日の20時00分にロンドン・ユーストンを発車した「ツーリスト・スペシャル」 ('Tourist Special') はクルーを出発する時点で機関車2両と客車25両で構成されており、多くのプライベートカーを含んでいた。乗客の大半はライチョウの季節の開始のために北へ移動する貴族であった。
長い列車がウィガン・ノース・ウェスタン駅を通過している時、運転士が後ろをひと目見たところ、車両後部へ飛ぶ火花を見た。停止した後、彼が歩いて戻ったところ下りプラットホームの南端で恐ろしい光景を目にした。高速で走行していた列車のうち、先頭の客車15両は駅を安全に通過したが、16両目の客車の2つの車輪は1組の対向分岐器で脱線していた。次の荷物車は完全に脱線し、線路脇の入換手小屋を破壊し車両の側面を破壊された。これら2両は連結器によってつなぎとめられ、プラットホームの長さ分の距離を走った後北端の分岐器で再び線路に復帰した。しかしさらに後の車両はそれほど幸運ではなく、分岐器で脱線して列車から外れ、プラットホームの始端とその脇の待避線のところで粉々になってしまい、13人が死亡し30人が負傷した。最後の客車と後部の緩急車のみ無傷であった。列車の前部は90分遅れてスコットランドへ運行を再開した。
調査
編集問題の分岐器は実質的にほとんど何の損傷もしておらず、長期に渡る調査でもいかなる欠陥も見つけられなかった。しかしほぼすべての乗客が列車の速度や客車の振動に不安を感じたと述べた。客車の雑多な寄せ集めであったことを考慮して、事故調査の結論は、列車は速度を出し過ぎていたというものであった。しかし、分岐器の強度と安定性を増すために追加のタイバーが取り付けられ、これは現在のイギリス鉄道網においても残っている。
参考文献
編集- Rolt, L.T.C.; Kichenside, Geoffrey (1982) [1955]. Red for Danger (4th ed.). Newton Abbot: David & Charles. pp. 161–164. ISBN 0-7153-8362-0