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ウィリアム・ボーイング

ウィリアム・ボーイング(左)、フレデリック・ブラント・レンチュラー(右)
William E. Boeing.jpg

ウィリアム・エドワード・ボーイング(William Edward Boeing、1881年10月1日 - 1956年9月28日)は航空機メーカーボーイングの設立者。デトロイトの生まれ。イェール大学出身。

生涯編集

母はオーストリアウィーン出身の Marie M. Ortmann、父はドイツ、Hagen-Hohenlimburg出身の Wilhelm Böing の子として、アメリカ合衆国ミシガン州デトロイトに生まれた。父の Wilhelm Böingは、成功を収めた家の出であったが、なんの経済援助も受けず、アメリカに移った当初は労働者として働き、後にスペリオル湖近くの材木と鉱物の権利で財を成した[1]

1890年、8歳で父はインフルエンザで他界、母はすぐに再婚した。スイスの学校に在学し、アメリカに戻った後の一年は予備校に通った。1903年に、材木業界に行くためにイェール大学を中退した。

航空業界への参入編集

グリーンウッド材木会社社長時の1909年に、シアトルに旅行し、初めて飛行機を見て航空機に魅せられた。

1916年、ボーイングはパシフィック・エアロ・プロダクツ(Pacific Aero Products) を設立した。 1917年、アメリカが第一次世界大戦に参戦したのを機にボーイング・エアプレーン(Boeing Airplane Company)に改名し、海軍から50機の注文を得た。

大戦が終わるまでに、航空郵便の事業でも成功した。1929年、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)などの航空産業企業数社とユナイテッド・エアクラフト・アンド・トランスポート(United Aircraft and ransport Corporation)を設立した。

1934年に独占禁止法により、ユナイテッド・エアクラフト・アンド・トランスポートは、ボーイング・エアプレーン(Boeing Airplane Company、後のボーイング)とユナイテッド・エアクラフト(United Aircraft Company、後のユナイテッド・テクノロジーズ)とユナイテッド航空に分割された。

引退後編集

ボーイングは1934年に航空事業から引退し、晩年は不動産開発や馬の繁殖に勤しんだ。彼が第2次世界大戦前にシアトル周辺で買い占めた土地の多くは今ではゴルフ場になっている[2]

1956年、ヨット中に心臓発作で死亡、享年74歳[3]。遺灰はボーイングが愛したカナダブリティッシュ・コロンビア州のヨット場に流された。

死後編集

1966年、航空の殿堂英語版に列せられた。

住んでいた家は、アメリカ合衆国国家歴史登録財となっている[4]

家族編集

1921年に、銀行家の家系のBertha Marie Potter Paschall(1891-1977)と結婚した。彼女は、この結婚以前に不動産ブローカーの Nathaniel Paschall と結婚しており、二人の連れ子がいた。この二人の義理の子の名前は、Nathaniel "Nat" Paschall Jr. と Cranston Paschallという。二人の義理の子供たちも、航空産業に入社した。二人の間には、William E. Boeing Jr.(1922〜2015年)が生まれ、不動産開発業者、シアトル航空博物館の設立メンバーとなった。

脚注編集

関連項目編集