エドワード・チャールズ・キルビー
エドワード・チャールズ・キルビー(Edward Charles Kirby, 生年不詳 - 1883年)は、幕末から明治の日本で活動したイギリス出身の実業家。神戸における近代造船業の祖。
経歴
編集キルビーの生い立ちについては不明な点が多いが、イギリスのストーアブリッジに生まれ、幼くして孤児となったといわれている[1]。オーストラリア、中国を経て[2]1865年に日本に移住。はじめ横浜居留地で貿易業を営んだがうまくいかず[3]、1868年、設置直後の神戸外国人居留地・川口居留地で貿易会社キルビー商会を設立した。キルビーは造船業に着目し、1869年にイギリス人2名と共同出資して小野浜鉄工所を設立したが経営に失敗[4]。雑貨輸入業を営んだ[5]後、1878年に単独で小野浜造船所を設立した[6]。1882年には日本初の鉄製蒸気船「第一太湖丸」の建造に成功し、さらに軍艦大和の建造に着手したが資金繰りに行き詰まり、ピストルによる自殺を遂げた[7]。
関連項目
編集- エドワード・ハズレット・ハンター - キルビー商会の元従業員。
脚注
編集参考文献
編集- 神木哲男・崎山昌広(編・著)『神戸居留地の3/4世紀 ハイカラな街のルーツ』神戸新聞総合出版センター〈のじぎく文庫〉、1993年。ISBN 4875214766。
- 谷口利一『使徒たちよ眠れ 神戸外国人墓地物語』神戸新聞出版センター〈のじぎく文庫〉、1986年。ISBN 4875214472。