カスパー・ゲオルグ・カール・レインヴァルト

植物学者

カスパー・ゲオルグ・カール・レインヴァルト(Caspar Georg Carl Reinwardt、1773年6月5日 - 1854年3月6日)は、ドイツ生まれのオランダ博物学者植物学者である。

Caspar Georg Carl Reinwardt

生涯 編集

ドイツ(神聖ローマ帝国)のリュットリングハウゼンに生まれた。生まれた後すぐ、家族はレネップに移った。父親が死ぬと兄はアムステルダム薬局を営む親類のもとに送られ、ラインヴァルトも薬剤師の見習いとなった。この間、科学者と知り合い、アテナイオン学園で解剖学と植物学の講義を受けた。化学薬学、植物学の知識によって、1800年にハルデルウェイク大学の博物学の教授となった。その後、アテナイオン学園などを歴任し、植民地の農業や科学技術を管理する委員会のメンバーとなることを依頼された。ジャワ島へ赴き1816年にバタビアに到着した。6年間に渡って、さまざまな仕事を行い、現地の学校や医療、植物栽培を改善した。現地の植物を研究し、外来種との交配の試験を行った。

最終的にBuitenzorg(現在のボゴール)に植物園をつくることを計画し、1817年にオランダ政府の承認を得てボゴール植物園の最初の園長となった。何度か植物採集の探検を行い、採集された植物はライデン薬草園に送られた。硝石の研究も計画するが、政府はこれを認めなかった。1817年にジャワ島東部の探検を行い、博物学標本を集めるが、オランダへ運ぶ途中で船の難破で失われた。1818年に噴火中のグヌン火山に登頂し観察結果を残した。1818年から1819年に主要なコレクションがヨーロッパに送られた。ライデン大学ブルグマンス(Sebald Justinus Brugmans)が没した後、ライデン大学の植物学、博物学、化学の教授として招かれたが1821年まで東インドに留まり、チモールモルッカ、スラワジの探検を行った。1822年末にオランダに戻り、1823年にライデン大学の教授に就任し、ライデン薬草園の園長にもなった。1831年にライデン薬草園で栽培された植物のカタログを出版し、5800種が記載されたが、ラインヴァルトが園長を務める前の1822年に比べて600種近くが増加した。これはフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトによって極東の植物によるものである。

著作 編集

  • Tijdschrift voor Natuurk. Wetensch. en Kunsten. Amsterdam 1810-1812
  • Redevoering van C.G.C. Reinwardt. Amsterdam 1823 (Online)
  • Ueber die natürliche Fruchtbarkeit der ostindischen Inseln, besonders von Java, und über die wahrscheinliche Ursache derselben. 1827
  • Über den Charakter der Vegetation auf den Inseln des indischen Archipels. Berlin 1828 (Online)
  • Über das Entstehen von Kalk und das Wachsthum der Muscheln und Korallenbänke in tropischen Meeren. 1831
  • Über die Art und den Ursprung der eßbaren Vogelnester auf Java. 1838
  • Plantae Indiae Batavae Orientalis. Leiden 1856 (Online)

参考文献 編集