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カメラヴェルク・ドクトル・クリューゲナー

カメラヴェルク・ドクトル・クリューゲナーKamerawerk Dr.Krügener )はドイツにかつて存在したカメラメーカーである。

歴史編集

。卒業後すぐ染料会社マイスター・ルーチウス・ウント・ブリューニング(Meister Lucius & Brüningヘキスト、サノフィ・アベンティスを経て現サノフィ)に化学者として就職、会社のあったフランクフルトに移住した。最初に取った特許は火災報知器だった。会社員時代から写真を趣味としていた[1]プラウベルの創業者ヒューゴ・シュラーダーHugo Schrader )の義理の父親でもある[2]

  • 1880年 - ルドルフ・クリューゲナーは祭り用の花火の爆発事故で片脚をなくしたが、その後義肢を発明し、会社で管理職として働き続けた[1]
  • 1888年 - ルドルフ・クリューゲナーによりフランクフルトに設立された[3]
    • 1月 - 本型カメラ、パテント・ブーフカメラの特許を申請した[4]
    • 5月初め - フランクフルトで行なわれた写真育成協会でパテント・ブーフカメラの見本を発表し、それを見たハーケ・ウント・アルバース(Haake & Albers )が興味を持った[4]
  • 1890年 - パテント・ブーフカメラの特許をハーケ・ウント・アルバースに譲渡した[5]
  • 1909年10月7日 - ヒュッティヒヴンシュカール・ツァイス・パルモスバウと合併しイカを形成した。
  • 1913年9月22日 - 創業者のルドルフ・クリューゲナーが死去した。

製品一覧編集

1888年から1909年の間に発表された機種は100を越え[6]、うち70種あまりは「デルタ」というブランドを使っている[7]

  • クリューゲナー・パテント・ブーフカメラDr. Krügener's Patent Buch-kamera 1888年頃) - 大きさは5.6×10×15cm程と極めて小型の本型カメラ。4×4cm判写真乾板で、シース24枚を装填できる。肩掛けのケースもあり、肩から提げたまま撮影ができるため「世界初の速写ケース」とも言われる。コレクターの間で高額に取引されており、完全品はほとんど入手不可能に近い[8]
  • デルタDelta 1895年頃) - 特徴は写真乾板の送り機構で、上部に重ねて入れた12枚のシースがレバー操作により1枚ずつ撮影位置に送られるようになっている。フィルムシースもあり、この場合は50枚の撮影が可能。9×12cm(大手札)判、12×16.5(キャビネ)判、9×18判、8.5×17cm判など各種ある。シャッターはクリューゲナーの特許による金属羽根による[7]エバーセットのロータリーセクター式[9]で、頑強である[7]。シャッタースピード切り替えはIが瞬間シャッター、IIがバルブ露出[9]。IIにしたままカメラに向かい右のレバーを左に回しIIIにするとタイム露出[9]。瞬間シャッター速度は1、2、3で切り替える[9]。絞りは回転絞り[9]。ピント合わせはスクリューナット式[9]
  • ロールフィルム・デルタRollfilm Delta 1900年頃) - コダックロールフィルムが普及し始めたため製造されたロールフィルム専用機[10]

出典編集

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  1. ^ a b c 『ツァイス・イコン物語』p.24。
  2. ^ 『クラシックカメラ専科』p.50。
  3. ^ 『ツァイス・イコン物語』p.101。
  4. ^ a b 『ツァイス・イコン物語』p.25。
  5. ^ 『ツァイス・イコン物語』p.26。
  6. ^ 『ツァイス・イコン物語』p.28。
  7. ^ a b c 『現代カメラ新書No.3、世界の珍品カメラ』p.36。
  8. ^ 『現代カメラ新書No.3、世界の珍品カメラ』p.44。
  9. ^ a b c d e f 『クラシックカメラ専科No.29、モダンクラシック』p.128。
  10. ^ 『現代カメラ新書No.3、世界の珍品カメラ』p.38。

参考文献編集

  • 『クラシックカメラ専科』朝日ソノラマ
  • 『クラシックカメラ専科No.29、モダンクラシック』朝日ソノラマ
  • 竹田正一郎『ツァイス・イコン物語』光人社 ISBN 978-4-7698-1455-9
  • 北野邦雄『現代カメラ新書No.3、世界の珍品カメラ』朝日ソノラマ