カール・ミレッカードイツ語: Carl Millöcker1842年4月29日 - 1899年12月31日)は、オーストリア作曲家指揮者ウィンナ・オペレッタの作曲家として著名で、『乞食学生』と『ガスパローネ』の二つのオペレッタが特に知られる。

カール・ミレッカー
Carl Millöcker
基本情報
生誕 1842年4月29日
出身地 オーストリア帝国の旗 オーストリア帝国ウィーン
死没 (1899-12-31) 1899年12月31日(57歳没)
オーストリア=ハンガリー帝国の旗 オーストリア=ハンガリー帝国バーデン・バイ・ウィーン[1]
ジャンル オペレッタ
職業 作曲家
指揮者
フルート奏者
活動期間 不明

生涯 編集

 
ミレッカーの住居。1899年12月31日、ここで最期を迎えた

1842年4月29日、ウィーンの金細工師の息子として生まれる[2]。幼少時から音楽の才能を示し、1855年に13歳でウィーン音楽院に入学し[2]、ピアノ・音楽理論・フルートを学んだ[3]1858年ヨーゼフシュタット劇場ドイツ語版楽団のフルート奏者となる[3]。同劇場の指揮者フランツ・フォン・スッペに認められ、彼の勧めを受けて1864年グラーツのターリア劇場の指揮者となった[3][1]1866年、ウィーンに戻りアン・デア・ウィーン劇場の指揮者となったが、同年のうちにハルモニー劇場に移る[3]1868年ブダペストのドイツ劇場の指揮者となったが翌1869年にアン・デア・ウィーン劇場に戻り、以後1883年まで同劇場で指揮棒を振った[3]

ミレッカーはウィンナ・オペレッタの黄金時代、いわゆる「金の時代」を牽引した作曲家の一人で、数多のオペレッタを手掛けた。とりわけ1882年の『乞食学生』は空前の大ヒットとなり、現在でもその人気は衰えていない。

作品 編集

オペレッタ 編集

  • 『呪われた城』(Das verwunschene Schloss)
  • 『デュバリー夫人』(Die Dubarry)
  • 乞食学生』(Der Bettelstudent)
  • ガスパローネ』(Gasparone)
  • 『貧しいヨナタン』(Derarme Jonathan)

その他 編集

  • 行進曲『スルタンが来るぞ!』(Der Sultan kommt!)

出典 編集

  1. ^ a b 若宮 2013, p. 171.
  2. ^ a b 増田 2000, p. 35.
  3. ^ a b c d e 増田 2000, p. 36.

参考文献 編集

  • 増田芳雄「ウイーンのオペレッタ 3 金の時代」『人間環境科学』第9号、帝塚山大学、2000年、25-73頁、NAID 120005571712 
  • 若宮由美「博覧会的なピアノ曲集としての"Aus der Musikstadt"(1892)」『埼玉学園大学紀要. 人間学部篇』第13号、埼玉学園大学、2013年12月、167-179頁、ISSN 1347-0515NAID 120005772404