キラン(Kiran)はネパール政治家革命家ネパール共産党毛沢東主義派の最長老で、党内序列No.4。

2008年4月10日ネパール制憲議会で比例代表区に立候補し当選。本名、モハン・バイディア(Mohan Baidhya)。プラチャンダが首相に専念するため、2008年9月12日、党中央書記会議で党務の責任者となる。

1985年、ネパール共産党マシャル派の総書記に就任。1989年武装闘争の失敗で総書記を辞任する。後任がプラチャンダだった。以後、プラチャンダと行動を共にし、ネパール共産党毛沢東主義派(マオイスト)を立ち上げる。

マオイスト党内ではバーダルとともに強硬派として、プラチャンダバッタライら主流派としばしば衝突していると見られている。