クララ・ヒトラー

クララ・ヒトラー(Klara Hitler,1860年8月12日 - 1907年12月21日)は、アドルフ・ヒトラーの母親。アロイス・ヒトラーの3番目の妻。

クララ・ヒトラー
Klara Hitler.jpg
 クララ・ヒトラー
生誕 (1860-08-12) 1860年8月12日
オーストリア帝国の旗 オーストリア帝国ニーダーエスターライヒ州
ヴァイトラ
シュピタル
死没1907年12月21日(1907-12-21)(47歳)
Flag of Austria-Hungary (1869-1918).svg オーストリア=ハンガリー帝国
オーストリア帝国の旗 オーストリア帝国オーバーエスターライヒ州
リンツ
国籍オーストリア
職業主婦
配偶者アロイス・ヒトラー
(1837-1903)
子供グスタフ・ヒトラー
イーダ・ヒトラー
オットー・ヒトラー
アドルフ・ヒトラー
エドムント・ヒトラー
パウラ・ヒトラー

経歴編集

クララ・ペルツル(Klara Pölzl)は、1860年にオーストリアヴァイトラde:Weitra)で、父ヨハン・ペルツル(Johann Baptist Pölzl)と母ヨハンナ(en:Johanna Hiedler)の間に生まれた。ヨハンナはヨハン・ネポムク・ヒードラー(en:Johann Nepomuk Hiedler)の娘であり、アロイス・ヒトラーにとっては戸籍上の姪にあたる。

1876年、クララはアロイス宅の住み込み家政婦として働き始めた。1880年にアロイスがフランツェスカ・マツェルスベルガー(Franziska Matzelsberger)と事実上の結婚生活を始めると一時解雇されたが、1883年にフランツェスカが肺病にかかると呼び戻された。この頃からクララはアロイスと関係を持つようになった。1884年にフランツェスカが死亡すると、アロイスとすでに妊娠していたクララは正式に結婚した。

しかしこの後クララが産んだ3人の子供はいずれも早世した。1889年にアドルフが生まれたが、おえいりりえいりいりりりいいいりいりいrfhtnyvgvbhjcjrfujickidkeco,of,old

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クララは病弱な子であると考えており、いつこの子が死ぬかという不安の中を抱えていたという。この後クララは2人の子を産むが、成人したのはアドルフとパウラの2人だけだった。クララは先妻の子であるアロイス(de:Alois Hitler junior)、アンゲラ(de:Angela Hitler)にも深い愛情を注いだが、アロイスは継母に無視されているおと感じるようになり、さらに父親の暴力に耐えかねた末、14歳で家出している。

夫アロイスが1903年に死亡すると、彼女は子供達の面倒を見ながら過ごしたが、1907年に乳癌で亡くなった。青年だったヒトラーはこれを大変悲しみ、クララを手当てした医師はユダヤ人エドゥアルド・ブロッホであったが、ヒトラーは恩義を感じており、オーストリア併合後もリンツに居住していたブロッホをユダヤ人ながら特別に保護し、アメリカへの亡命をも許可した。また、癌の治療で苦しんだクララの姿を見ていたため、自らも癌で死ぬという強迫観念を持つようになったと言う。

参考文献編集

関連作品編集

  • 『ヒトラーをめぐる女たち』 エーリヒ・シャーケ(著)  TBSブリタニカ

外部リンク編集