クリスティーネ・ヴィルヘルミーネ・フォン・ヘッセン=ホンブルク

クリスティーネ・ヴィルヘルミーネ・フォン・ヘッセン=ホンブルクドイツ語:Christine Wilhelmine von Hessen-Homburg, 1653年6月30日 - 1722年5月16日)は、メクレンブルク=グラーボウ公フリードリヒの妃。

クリスティーネ・ヴィルヘルミーネ・フォン・ヘッセン=ホンブルク
Christine Wilhelmine von Hessen-Homburg

出生 (1653-06-30) 1653年6月30日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
ヘッセン=ダルムシュタット方伯領、ビンゲンハイム城
死去 (1722-05-16) 1722年5月16日(68歳没)
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
メクレンブルク公領、グラーボウ城
埋葬 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
メクレンブルク公領、グラーボウ城 → シュヴェリーン、聖ニコライ教会
配偶者 メクレンブルク=グラーボウ公フリードリヒ
子女 フリードリヒ・ヴィルヘルム1世
カール・レオポルト
クリスティアン・ルートヴィヒ2世
ゾフィー・ルイーゼ
家名 ヘッセン家
父親 ヘッセン=ホンブルク方伯ヴィルヘルム・クリストフ
母親 ゾフィー・エレオノーレ・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット
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生涯 編集

クリスティーネ・ヴィルヘルミーネはヘッセン=ホンブルク方伯ヴィルヘルム・クリストフの長女である。父ヴィルヘルム・クリストフはホンブルクよりもビンゲンハイム城を好んだため、ヘッセン=ビンゲンハイム方伯とも呼ばれた。また、母はゾフィー・エレオノーレ・フォン・ヘッセン=ダルムシュタットであった。クリスティーネ・ヴィルヘルミーネには7人の兄弟がいたが、いずれも両親に先立って死去した。また、妹のマグダレーネ・ゾフィー(1660年 - 1720年)は、1679年にゾルムス=グライフェンシュタイン伯ヴィルヘルム・モーリッツ(1651年 - 1724年)と結婚した。

1671年5月28日、クリスティーネ・ヴィルヘルミーネは、メクレンブルク公アドルフ・フリードリヒ1世(1588年 - 1658年)とブラウンシュヴァイク=ダンネンベルク公マリー・カタリーナ(1616年 - 1665年)の息子であるメクレンブルク=グラーボウ公フリードリヒ(1638年 - 1688年)と結婚した。1667年、フリードリヒはストラスブール大聖堂の司祭として聖職給を受け、聖界に入ることを望んだが、フリードリヒはグラーボウに移り、1669年にはそこに居を構えた。フリードリヒの異母兄クリスティアン・ルートヴィヒ1世が1692年に嗣子なく死去したため、フリードリヒの3人の息子がメクレンブルク公位を継承した。

1725年にグラーボウ城が火災に見舞われた後、夫妻の棺はシュヴェリーンの聖ニコライ教会の地下室に安置された。

子女 編集

参考文献 編集