ゲオルギオス・ツォラコグル

ゲオルギオス・ツォラコグル[注釈 1]: Γεώργιος Τσολάκογλου; ラテン文字転写: Georgios Tsolakoglou、1886年4月 - 1948年5月22日)は、ギリシャの軍人、政治家。枢軸占領下ギリシャ国英語版の初代首相。

ギリシャ軍将校編集

1912年7月7日、歩兵少尉として士官学校英語版を卒業し、第4連隊に配属された。第一次バルカン戦争では、アラソニヤ (エラソナ)英語版クルク峠 (サランタ峠)英語版イェニジェ英語版の戦いに、第二次バルカン戦争ではキルキス-ラハナ英語版デミル・ヒサール (スィディロカストロ)英語版ゴルナ・ジュマヤ (ブラゴエヴグラト)の戦いに参加した。第一次世界大戦ではストルマ戦線で従軍した[9]。その後、対ソ干渉戦争ではウクライナ戦線で従軍し、小アジア遠征には、エヴゾン1/39大隊の指揮官として参加し、1922年8月のトルコ軍の大攻勢英語版時には第4師団英語版長の任にあった。イタリア・ギリシャ戦争では、1940年10月から1941年4月まで第3軍団英語版司令官を、1941年4月から西マケドニア軍英語版司令官を務めた。

枢軸軍への降伏編集

1941年4月23日、ドイツイタリアとの和平協定に署名(ドイツ側代表アルフレート・ヨードル、イタリア側代表A.フェレッロ)。

ギリシャ国首相編集

1941年4月30日、枢軸占領当局によりギリシャ国英語版の首相に任命された。ゲオルギオス・バコス英語版は国防大臣、パナギオティス・デメスティカス英語版 は内務大臣、ヴィルヘルム・リストの姪 (妹の娘) と結婚していたコンスタンティノス・ロゴセトプロス英語版は副首相兼教育大臣を務めた。1942年10月、「経済状態の悪化とそれにともなう内政の難局を克服する責任を負えない」との理由で辞表を提出した[10]。1942年12月2日、コンスタンティノス・ロゴセトプロスと交代した。

終戦後に逮捕され、ギリシャ軍法会議により死刑を宣告されたが、終身刑に変えられた。1948年5月22日に白血病のため獄中で死亡した。

脚注編集

注釈編集

  1. ^ G・ツォラコグル[1]ツォラコグル[2][3][4][5]チョラコグル[6]ツォラコグルー[7]ツォラコグロウ[8]

出典編集

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  1. ^ ジョルジュ・カステラン著、山口俊章訳『バルカン 歴史と現在―民族主義の政治文化』サイマル出版会、1994年7月 初版、ISBN 4-377-11015-2、366頁。
  2. ^ 周藤芳幸・村田奈々子『ギリシアを知る事典』東京堂出版、平成12年8月30日 初版発行、ISBN 4-490-10523-1、270頁。
  3. ^ リチャード・クロッグ『ギリシャの歴史 ケンブリッジ版世界各国史』創土社、2004年8月30日 第1刷発行、ISBN 4-7893-0021-8、126頁。
  4. ^ 桜井万里子編『ギリシア史 新版世界各国史17』山川出版社、2005年3月10日、ISBN 4-634-41470-8、佐原徹哉「第7章 現代のギリシア」335頁。
  5. ^ 村田奈々子『物語現代ギリシャの歴史 中公新書2152』中央公論新社、2012年2月25日発行、ISBN 978-4-12-102152-6、183頁。
  6. ^ ソ連共産党中央委員会附属マルクス・レーニン主義研究所編、川内唯彦訳『第二次世界大戦②ノモンハン事件とドイツの対ソ戦準備』弘文堂、昭和38年11月30日 発行、「第七章 フランス降伏後の第二次世界大戦」105頁。
  7. ^ C.M.ウッドハウス、西村六郎訳『近代ギリシャ史』みすず書房、1997年8月18日 発行、ISBN 4-622-03374-7、324頁。
  8. ^ アントニー・ビーヴァー著、平賀秀明訳『第二次世界大戦 1939-45 (上)』白水社、2015年6月10日 発行、ISBN 978-4-560-08435-9、330頁。
  9. ^ Γ. Κ. Σ. Τσολάκογλου, Απομνημονεύματα, εκδ. Ακρόπολις, Αθήναι 1959, σελ 9. (ギリシア語)
  10. ^ Nessou, Anestis, Griechenland 1941-1944, Deutsche Besatzungspolitik und Verbrechen gegen die Zivilbevölkerung - eine Beurteilung nach dem Völkerrecht, Göttingen, 2009, S. 74. (ドイツ語)
先代:
エマヌエル・ツデロス
ギリシャの首相
1941年 - 1942年
次代:
コンスタンディノス・ロゴセトプロス英語版