コゼリスク公国(コゼリスクこうこく、ロシア語: Козельское княжество)は、12 - 13世紀にコゼリスクを首都として成立した、ルーシの諸公国のうちの一つである。オカ川上流公国群に含まれる。

歴史 編集

コゼリスク公国は、成立当初はチェルニゴフ公国に属する分領公国であり、1246年まではカラチェフ公国の一部であった。1381年にリトアニア大公国に従属した。1408年、モスクワ大公国ヴァシーリー1世はコゼリスクを手中に収めると、セルプホフ公ウラジーミル(ru)に、ヴォロコラムスクルジェフの代わりにコゼリスクを与えた。1445年頃、リトアニア大公国は再びコゼリスクを奪回し、その所領に加えた。1448年にはリトアニア大公(兼ポーランド王カジミエラスによってナメストニクが置かれている。最終的にはロシア領となった。歴代コゼリスク公のうちの1人であるティート(ru)の子孫であるイヴァンを、ゴルチャコフ家(ru)の祖とする説がある。

参考文献 編集

  • Пресняков А. Е. Княжое право в Древней Руси. Лекции по русской истории - М.:Наука, 1993.
  • История родов русского дворянства: В 2 кн. / авт.-сост. П. Н. Петров. — М.: Современник; Лексика, 1991. — Т. 1. — С. 50-51.

関連項目 編集