シェーンブルン動物園ドイツ語:Tiergarten Schönbrunn)もしくはウィーン動物園は、オーストリアの有名なシェーンブルン宮殿内に設置されている動物園である。 1752年に帝国の宮廷メナジェリー(小動物園)として設立され、世界で最も古い動物園となる。 シェーンブルン動物園は、科学的に管理された動物園として、種の保存と自然の保護を主目的とするだけではなく、法律により教育的権限を委任された中央センターとみなされている。 バロック時代の建物が現在まで保存されており、ヴェルサイユ宮殿後、18世紀メナジェリーの印象を現代に伝えている。 近年には、現代的な動物園の建築要素が取り入れられた。

シェーンブルン動物園
(Tiergarten Schönbrunn)
シェーンブルン動物園のジャイアントパンダ
施設情報
開園 1752
所在地 オーストリアウィーンシェーンブルン宮殿
位置 北緯48度10分56秒 東経16度18分09秒 / 北緯48.18222度 東経16.30250度 / 48.18222; 16.30250座標: 北緯48度10分56秒 東経16度18分09秒 / 北緯48.18222度 東経16.30250度 / 48.18222; 16.30250
加盟 EAZA[1], VDZ, OZO
公式サイト www.zoovienna.at/e/index.html
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概要 編集

シェーンブルン動物園は、ジャイアントパンダを飼育する、世界でも貴重な動物園の1つである。 動物園のパンダは、「陽陽・ヤンヤン(雌)」「龍徽・ロンホイ(雄)」「福瀧・フーロン(雄)」「福虎・フーフー(雄)」と名付けられている[2]。 フーロンは、2007年8月23日、ヨーロッパ初の自然受精により生まれた[3]。 フーフーはちょうど3年後の8月23日生まれで、自然交配による妊娠であった[4]。 約3年後の2013年8月14日、自然交配により生まれたパンダは「福豹・フーバオ(雄)」と名付けられた[5]。 フーロンとフーフーは、現在は中国に返還されて、いない。

他の魅力ある見学先としては、熱帯雨林館が挙げられる。 見学者はアマゾン熱帯雨林を模したアクアリウムに案内され、アマゾン川の氾濫を体験することができる。 また近年、珍しい生息地に住む動物の展示も行われている[6]。 2004年初めには、北極圏に住む動物の展示館が新しく開館した。

1906年7月14日には、世界で初めてゾウの繁殖に成功した[7]

1992年の民営化以来、WWFオーストリアの総裁でもあったヘルムート・ペヒラーナーを園長に迎え、動物園の大半を改装し、経営基盤を維持して いる。 現在の園長は、ダグマール・シュラッター(Dagmar Schratter)である。

今日、動物園は、さまざまな動物を対象とした個人・法人の後援会を設置したり、予約制で夜の見学や子供向けの特別プログラムを組んだりしている。 動物学的研究が動物園で行われている。

歴史 編集

 
宮廷の朝食パビリオン。現在はカフェレストランとして使用されている。

シェーンブルン動物園は1752年、神聖ローマ帝国皇帝でありマリア・テレジアの夫であったフランツ1世がアドリアン・ファン・シュテークホーフェン(Adrian van Stekhoven)に命じて、シェーンブルン宮殿の隣に帝国メナジェリー(小動物園)として創設された。動物のいる飼育場は、帝国の朝食パビリオンを中心に放射線状に13枠、ちょうど切り分けたケーキのような形に集められた。

朝食パビリオンとメナジェリーの建物を建設したのは、ジャン・ニコラ・ジャド・ド・ヴィル=イッセイ(Jean Nicolas Jadot de Ville-Issey)である。1540年にはすでに小さな動物園が存在していたが、完成してから市民に公開されたのは1779年になった。当初、入園料は必要なかった。

神聖ローマ帝国皇帝ヨーゼフ2世は、飼育用の動物を捕まえるためにアフリカとアメリカに遠征隊を派遣した。1828年に初めてキリンが到着すると、ウィーンのファッションや都市生活にブームが起きた。衣服やアクセサリーなどのデザインに取り入れられ、アドルフ・バウエル(Adolf Bäuerle)は『ウィーンのキリン(ドイツ語: Giraffen in Wien)』という戯曲を上演した。

第一次世界大戦が始まった段階で、動物園は712種、3500個体を飼育していた。大戦中は食料供給が減ったために、動物が次々に力尽き、900個体にまで減った。大戦後、オーストリア=ハンガリー帝国が解体されると、動物園はオーストリア共和国の管理下に入った。

第二次世界大戦では、1945年2月19日と21日の爆撃により、動物園は多大な被害を受けた。多くの建物が破壊されて動物が死に、個体数は400にまで減少した。新園長のユリウス・プラヘトカ博士などの尽力により、動物園は復興を果たした。

動物園は1980年代に財政危機に陥ったが、1992年の民営化により閉鎖を免れた。ヘルムート・ペヒラーナー(Helmut Pechlaner)博士は、動物園長に任命された。2007年1月1日にヘルムート博士が定年退職すると、副園長だったダグマール・シュラッター(Dagmar Schratter)博士が後を引き継いだ。

ペヒラーナー園長は、いくつかのスポンサー契約に加え、入園料を大幅に値上げし、設備の多くを刷新増築した。 彼が園長だった時代に、動物園には、熱帯雨林館、砂漠館、チロル農場が増設された。 ジャイアントパンダコアラといった、珍しい外国の動物も、動物園の人気上昇に一役買っている。

メディア 編集

シェーンブルン動物園は、何度かの悲劇的事故に苦しんだ。 2002年、ジャガーが給仕中に飼育員を襲い、入園客の目の前で彼女を殺害した。 園長は救助を試みたが、腕に重傷を負った。 2005年2月20日には、若いゾウのアブが飼育員を圧死させた。 その後の報道の嵐を受け、ペヒラーナー博士は園長を引責辞任した[8]

トーマス・ブレツィナ著の児童書を原作とする、ORFの映画トム・ターボの舞台は、シェーンブルン動物園である。 トム・ターボ(自転車のキャラクター)は2006年から動物園にガレージを持ち、作者と共に、動物園の虎のスポンサーとなっている。 前動物園長のペヒラーナーが、いくつかのエピソードにカメオ出演している[要出典]

ウィーン動物園250周年記念銀貨 編集

シェーンブルン動物園の250周年記念銀貨は、コレクターズ・アイテムとして有名である。 この5ユーロ銀貨は、2002年の5月8日に鋳造された。 裏面の図は、幾種類もの動物に囲まれたカイザー・パビリオンである。 1752-2002の数字は、設立の年代とコイン鋳造の年代を示している。

文学 編集

  • Ash, Mitchell and Dittrich, Lothar (ed.), Menagerie des Kaisers – Zoo der Wiener, Pichler Verlag, Vienna, 2002. ISBN 3-85431-269-5
  • Helmut Pechlaner, Dagmar Schratter, Gerhard Heindl (publisher): Von Kaiser bis Känguru. Neues zur Geschichte des ältesten Zoos der Welt. Vienna 2005, ISBN 3-7003-1497-3


脚注 編集

外部リンク 編集