ジャパン号
ジャパン号(ジャパンごう)は、アメリカ合衆国の汽船会社バシフィック・メイル・スチームシップ・カンパニー(太平洋郵船会社[1])が1867年に建造した4,351トンの蒸気船(外輪船)[2]。サンフランシスコと横浜・香港を結ぶ最初の定期航路に使われたが[3]、1874年に海上で焼失した[4]。
概要
編集バシフィック・メイル・スチームシップ社は1867年(慶応3年) 1月1日にコロラド号(1865-1879)を発船してサンフランシスコから横浜を経て香港を結ぶ定期航路を開設し、ジャパン号のほか、同じく木造外輪船のグレイト・リパブリック号(1867-1878)、チャイナ号(1867-1879)、アメリカ号(1868-1872)を新造してこの航路に投入した[5]。
ジャパン号は長さ113m、幅24m、船倉内の深さ9.6m、収容乗客数1450人の豪華客船だが、乗客のほとんどはアメリカ大陸鉄横断道建設から里帰りする中国人労働者だった[3]。料金は一等客室300ドル(現行価格で約740万円)、三等がその3分の1[3]。
本船を利用した乗客には、1869年に明治政府の特命全権公使としてハワイの日本人移民調査に向かった上野景範[6]、1869年に世界一周した牧師で旅行家のエドワード・プライム、1871年に国費留学生として渡米した山川健次郎、1872年に宣教師として日本に派遣されたエドワード・ローゼイ・ミラー、帰国途上の1873年に船中で没した米国商人のユージン・ヴァン・リードなどがいる。
脚注
編集- ^ 太平洋郵船会社国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス
- ^ Pacific Mail Steam Ship Company's Steamer, JapanHuntington Digital Library
- ^ a b c 『グローブトロッター』中野明、朝日新聞出版、2013、p22
- ^ Pacific Mail SS Co.The Ship List
- ^ 松浦章「清末中国と日本間の汽船定期航路 : 明治期日本最初の海外定期航路」『関西大学東西学術研究所紀要』第37巻、関西大学東西学術研究所、2004年4月、A15-A48、ISSN 02878151、NAID 110004706061。
- ^ 『ハワイ日本人移民史』United Japanese Society of Hawaii, 1977, p129
- ^ 香港港のジャパン号Google Art & Culture
外部リンク
編集- 香港港のジャパン号 - 香港海洋博物館所蔵