スタンリー・ウィルソン・シニア

スタンリー・ウィルソン・シニア(Stanley Wilson Senior 1961年8月23日- )は、カリフォルニア州ロサンゼルス出身のアメリカンフットボール選手。ポジションはランニングバック。チームメートからは彼のプレースタイルからコミックキャラクターのタスマニアンデビル (Tasmanian DevilにちなんでTazと呼ばれていた[1]

スタンリー・ウィルソン
Stanley Wilson
基本情報
ポジション ランニングバック
生年月日 (1961-08-23) 1961年8月23日(62歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
カリフォルニア州ロサンゼルス
身長: 5' 10" =約177.8cm
体重: 209 lb =約94.8kg
経歴
大学 オクラホマ大学
NFLドラフト 1983年 / 9巡目全体248位
初出場年 1983年
初出場チーム シンシナティ・ベンガルズ
所属歴
シンシナティ・ベンガルズ(1983年-1988年)
NFL 通算成績
ラン獲得ヤード 1,118ヤード
平均獲得ヤード 4.4ヤード
TDラン 11回
レシーブ回数 27回
レシーブ獲得ヤード 277ヤード
TDレシーブ 2回
Player stats at NFL.com
Player stats at PFR

経歴 編集

高校時代は、フリーマン・マクニールと同じ高校でプレーした[2]。オクラホマ大学を卒業後、1983年のNFLドラフト9巡でシンシナティ・ベンガルズに指名された。

1985年1987年コカインの服用により、シーズン全試合の出場停止処分を受けた[1]

1988年 編集

1988年、ベンガルズのリードブロッカーとして活躍した。チームはウィルソンのリードブロックでジェームズ・ブルックスイッキー・ウッズが走り、プレーアクションパスも効果的に機能した[1]

ディビジョナルプレーオフのシアトル・シーホークス戦では2TDをあげた[1]ジョー・ロビー・スタジアムの北に数マイルに位置するフロリダ州プランテーションのホテルで行われた第23回スーパーボウルの直前の最後のミーティングでサム・ワイチヘッドコーチが点呼を取っていた。ルームメートのエディ・ブラウンがウィルソンはプレイブックを忘れたため、自室に取りに戻ったと伝えた。なかなか戻ってこないウィルソンをワイチヘッドコーチらが呼びに行ったところ、コカインを服用していた彼を発見した。ブーマー・アサイアソンによると、ミーティングの場に戻ってきたワイチが「奴は再発した。」と語った。ワイチは、嗚咽をもらし、平常心を取り戻すため、ミーティングの場に戻るのに10分を要したという[1]

NFLのドラッグポリシーで3度目の違反となった彼はリーグから永久追放となった[1]。彼の欠場したベンガルズはサンフランシスコ・フォーティナイナーズに16-20で敗れた[1]

NFL追放後 編集

その後刑務所とリハビリ施設を行き来した[1]。1999年にカリフォルニア州ビバリーヒルズで被害額13万ドル相当の窃盗を行い、同州ランカスターの刑務所に服役することとなった[3]。裁判中、彼の弁護士はウィルソンが双極性障害であると訴えた。

人物 編集

彼の息子、スタンリー・ウィルソン・ジュニア英語版はウィルソンがスーパーボウル直前に永久追放された際、6歳であり、父方の祖父母に連れられてスーパーボウル観戦に訪れていた。その後、彼はランニングバックとしてスタンフォード大学から奨学金のオファーを受けて進学、その後、コーナーバックにコンバートされて29試合で先発出場した[3]2005年のNFLドラフト3巡でウィルソン・ジュニアはデトロイト・ライオンズから指名された。

彼が追放された9年後、ベンガルズでプレーするコーリー・ディロンについて解説者となったアサイアソンは、スタンリー・ウィルソンを見るようなプレースタイルだと語った[1]

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g h i Paul Daugherty (1999年1月31日). “Hard fall for man who had it all”. シンシナティ・エンクワイアー. 2015年9月11日閲覧。
  2. ^ Banning Football Players in the NFL”. Banning Athletics. 2015年9月11日閲覧。
  3. ^ a b Len Pasquarelli (2005年3月11日). “CB maintains close ties with father”. ESPN. 2015年9月11日閲覧。

外部リンク 編集