スバルジョ

インドネシアの政治家

スバルジョ(アフマッド・スバルジョ、Achmad Soebardjo Djojoadisoerjo、1896年3月23日1978年12月15日 )は、インドネシア政治家。初代外務大臣1951年9月4日から9月8日までサンフランシスコで開かれた日本との平和会議に、インドネシアの首席代表として出席し、日本の主権回復と日本が国際社会でその地位を回復することを歓迎した[1]

スバルジョ
Soebardjo
生年月日 1896年3月23日
出生地 オランダの旗 オランダ
オランダ領東インド西ジャワ州カラワン県
没年月日 (1978-12-15) 1978年12月15日(82歳没)
出身校 ライデン大学法学部
称号 インドネシア国家英雄

内閣 スカルノ内閣(大統領親政)
在任期間 1945年9月2日 - 1945年11月14日

インドネシアの旗 インドネシア外務大臣
内閣 第2次ハッタ内閣
在任期間 1951年8月4日 - 1952年12月20日
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脚注 編集

  1. ^ アフマッド・スバルジョ著、奥源造編訳(1973)『インドネシアの独立と革命』10頁。

参考文献 編集

アフマッド・スバルジョ著、奥源造編訳『インドネシアの独立と革命』龍渓書舎、1973年。