タウラゲ蜂起リトアニア語: Tauragės sukilimas)は、1927年9月9日リトアニアタウラゲで起きた蜂起。1926年のクーデターによりリトアニア人民族主義連合が政権についたことに対する、左派による武装蜂起であった。

蜂起に参加したのはリトアニア社会民主党リトアニア農民人民連合およびロシアの社会革命党(エスエル)の党員の一部であった。1927年9月9日、タウラゲに社会民主党の国会議員ポヴィラス・ミクルスキスら約30人が集まった。タウラゲの街を襲って警察や銃兵を武装解除し、銀行や鉄道駅、その他重要施設を占拠した。蜂起に参加した最初の人々が「全国で政権が転覆し、軍もこの蜂起を支援している」と宣言したため、参加者の数は蜂起が起きて半日後には200人にまで膨れ上がった。

政府は蜂起をすぐに察知し、17時には軍隊が街に入った。その後蜂起参加者は次々に裁判にかけられ、銃殺刑に処された。タウラゲ市内のユーラ川近くにはこの出来事を記念する石碑が置かれている[1]

蜂起はタウラゲだけでなくラセイネイケダイネイアリートゥスでも起きるはずだったが、様々な理由からタウラゲでしか起きなかった。

脚注

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