ディヴィジオン・ドヌール1919-1920
ディヴィジオン・ドヌール (エール・アフデーリン)1919-1920はベルギー最上位サッカーリーグの第20シーズン目である。FCブリュージョワが初優勝を決めた[1]。
シーズン | 1919-1920 |
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優勝 | FCブリュージョワ (1回目) |
昇格 |
RCマリーヌ ユクル・スポール |
降格 | なし |
試合数 | 132 |
ゴール数 | 518 (1試合平均3.92) |
得点王 | オノレ・ヴラミンク (26) |
概要
編集ベルギーサッカー協会は1919年9月28日に戦後初のシーズンを始めたが[2]、第一次世界大戦で多くの選手・指導者・クラブ役員が亡くなっていることに配慮して、過渡的内容にせざるを得なかった。優勝争いを牽引したのは大戦前おなじみの顔ぶれであるユニオンSGとダリンCBの首都勢、そして初優勝を飾ったFCブリュージョワである。終盤に追い込みをかけたFCブリュージョワは、何度も優勝を逃した末に初のベルギー王者となった。ラシン・ブリュッセルが最下位となったが「過渡期」ゆえ降格は行われず、オリジナルメンバー「最後の砦」はトップリーグの座を維持した。
出場クラブ
編集名前 | クラブ番号 | ホームタウン | ホームスタジアム |
---|---|---|---|
アントウェルプFC | 1 | アントウェルペン | Broodstraat |
ベールショットAC | 13 | アンヴェール | スタッド・オランピック・ダンヴェール |
CSブリュージョワ | 12 | ブリュージュ | croisement Gistelsesteenweg rhoutsesteenweg |
FCブリュージョワ | 3 | ブリュージュ | スタッド・アルベール・ディセランク |
ダリンCB | 2 | モルンベーク | chaussée de Jette, 501 |
RCブリュッセル | 6 | ユクル | スタッド・デュ・ヴィヴィエ・ドワ |
AAラ・ガントワーズ | 7 | ヘントブルッヘ | スタッド・ジュール・オッテン |
RCガン | 11 | ガン | スタッド・エマニュエル・イール |
RCマリーヌ | 24 | マリーヌ | Rode Kruisplein ? |
ユニオン・サン=ジロワーズ | 10 | フォレ=レ=ブリュッセル | スタッド・デュ・パルク・デュダン |
ユクル・スポール | 15 | ユクル | chaussée de Ruisbroeck |
CSヴェルヴィエートワ | 8 | ヴェルヴィエ | 不明 |
順位表
編集順 | チーム | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 差 | 点 |
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1 | FCブリュージョワ | 22 | 15 | 4 | 3 | 61 | 27 | +34 | 34 |
2 | ユニオン・サン=ジロワーズ | 22 | 14 | 4 | 4 | 71 | 22 | +49 | 32 |
3 | ダリン・クルブ・ドゥ・ブリュッセル | 22 | 13 | 5 | 4 | 45 | 28 | +17 | 31 |
4 | アントウェルプFC | 22 | 11 | 5 | 6 | 52 | 35 | +17 | 27 |
5 | ベールショットAC | 22 | 11 | 3 | 8 | 44 | 34 | +10 | 25 |
6 | RCマリーヌ | 22 | 10 | 4 | 8 | 37 | 40 | −3 | 24 |
7 | RCガン | 22 | 9 | 4 | 9 | 34 | 45 | −11 | 22 |
8 | CSブリュージョワ | 22 | 7 | 5 | 10 | 38 | 38 | 0 | 19 |
9 | CSヴェルヴィエートワ | 22 | 6 | 4 | 12 | 40 | 64 | −24 | 16 |
10 | ユクル・スポール | 22 | 4 | 5 | 13 | 28 | 58 | −30 | 13 |
11 | ラシン・ブリュッセル | 22 | 4 | 3 | 15 | 40 | 59 | −19 | 11 |
12 | AAラ・ガントワーズ | 22 | 3 | 4 | 15 | 28 | 68 | −40 | 10 |
出典:
得点ランキング
編集順位 | 国籍 | 選手 | クラブ | 点数 | 試合数 |
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1. | オノレ・フラミンク | ダリンCB | 26 | 21 | |
2. | ロベール・コペ | ユニオンSG | 23 | 17 | |
=. | フェリックス・バルユ | FCブリュージョワ | 23 | 22 | |
4. | レオン・ファンデフォールデ | FCブリュージョワ | 22 | 22 | |
5. | フランソワ・ヴェルーヴェン | ユクル・スポール | 20 | 22 | |
6. | マテュー・ブラギャール | CSヴェルヴィエートワ | 19 | 20 | |
7. | フェルディナント・ウェルツ | アントウェルプFC | 17 | 22 | |
=. | モリス・バニャン | RRCブリュッセル | 17 | 22 | |
9. | ヘンリ・ラルヌー | ベールショットAC | 15 | 22 | |
10. | アキール・メイスケンス | ユニオンSG | 14 | 17 | |
11. | ジェルマン・アレイン | CSブリュージョワ | 13 | 21 | |
12. | イヴァン・テイス | ベールショットAC | 12 | 17 | |
=. | ルイ・フェルストラーテン | AAラ・ガントワーズ | 12 | 18 | |
=. | ジュール・ケールネル | RCガン | 12 | 20 | |
=. | フランソワ・ドギャー | RCマリーヌ | 12 | 22 |
その他
編集- アルベール1世は設立25周年を迎えたベルギーサッカー協会に「アソシアシヨン・ロワイヤル」の称号を与え、以降の協会は「王立」の一語を団体名に付け加えた[2]。さらにサッカー協会は傘下のクラブにも創設から25周年目に「王立」の形容詞を名称に付け加える権利を認め、ベルギーのサッカークラブのネーミングにひとつの特徴をもたらした。ベルギー王室公式サイトの説明「ファヴール・ロワイヤル (国王の賛意・好意)」によると、この称号は最低50年以上存続しているベルギーの団体に国王から与えられるもので、重要かつ独自性のある活動を行っている非営利団体などが対象である。ベルギーの国王と王族が民間に与えるこのような称号は、他にも複数存在している[3][4]。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ “Belgium 1919/1920” (英語). WildStat.com. 2023年4月29日閲覧。
- ^ a b “L'ENTRE-DEUX GUERRES” (フランス語). ベルギーサッカー協会. 2023年4月29日閲覧。
- ^ “Faveurs Royales” (フランス語). monarchie.be. 2023年4月29日閲覧。
- ^ “Koninklijke gunsten” (オランダ語). monarchie.be. 2023年4月29日閲覧。