トゥース (ペルシア語: توس or طوس‎, ラテン文字: Tus, Tous, Toos or Tūs) は、イランラザヴィー・ホラーサーン州にあった都市。

トゥースにある広大なハルニエ・ドーム。ガザーリーの廟であるとの説があるが定かではない。
トゥースにあるフェルドウスィーの廟

歴史編集

紀元前330年アレクサンドロス3世に占領されたことで、古代ギリシア人からは Susia (古代ギリシア語: Σούσια) として知られている。

619年西突厥統葉護可汗サーサーン朝のDatoyan王子の守るトゥースに攻め込んだ第二次ペルソ・テュルク戦争英語版の戦場となった。西突厥の帰路を襲ったバグラトゥニー朝英語版Persian Armeniaの王子Smbat IV Bagratuniによってサーサーン朝が勝利したが、ビザンチン・サーサーン戦争 (602年 - 628年)英語版中のサーサーン朝の背後を突いて東ローマ帝国を支援する役目は果たした。

808年ホラーサーンでの反乱をアッバース朝カリフハールーン・アッ=ラシードが治めにいく途中で、病気になりトゥースで没した[1]

この都市は、1220年から1259年までの間にモンゴル帝国チンギス・ハーンによって征服されて破壊されつくしてしまった。

トゥース出身の有名人編集

もっとも有名な住人は詩人のフェルドウスィーで、叙事詩シャー・ナーメ』の作者として知られる。彼のは生誕1000年となる1934年に、この町につくられた。

他にはジャービル・イブン=ハイヤーンアサディー・トゥースィーニザームルムルクガザーリーナスィールッディーン・トゥースィーシーア派の学者アブー・ジャーファル・トゥーシーなどが著名な住人である。

脚注編集

  1. ^ The Court of the Caliphs by Hugh N Kennedy (ISBN 0 297 83000 7)

外部リンク編集

座標: 北緯36度27分15秒 東経59度34分01秒 / 北緯36.45417度 東経59.56694度 / 36.45417; 59.56694