ドーリャ(ロシア語: Доля)は帝政ロシアの行政区画の単位である[1]。
1710年にピョートル1世が導入し、グベールニヤ(県)の下位区分として用いられた。1775年にエカテリーナ2世の行政改革によってウエズドに置き換えられる形で廃止された[2]。