ノヴォシリ公ロシア語: князь Новосильский)はノヴォシリ公国の君主の称号である(「公」はクニャージからの訳出による)。君主号・公国の名は、その首都だったノヴォシリによる。

ノヴォシリ公の一覧

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括弧内はノヴォシリ公位への在位年

  • アレクサンドル・セミョーノヴィチ(ru)(? - 1326年[1])
  • セミョーン・アレクサンドロヴィチ?[2]
  • セルゲイ・アレクサンドロヴィチ?[2]
  • セミョーン・ミハイロヴィチ
  • イヴァン・セミョーノヴィチ[2]
  • ロマン・セミョーノヴィチ(ru)(1369年 - 1402年以降[1])

ロマン・セミョーノヴィチの統治期に、首都はオドエフへと移る[1]。また、ロマンの子である以下の3人がノヴォシリ公国を分割継承し、新たな公位が出現するが[1][3]、以下の人物、あるいは以下の公家出身の人物のうちで、権力闘争に勝利したものが、ノヴォシリ公を称することがあった。

  • ヴァシリー・ロマノヴィチ(ru) - ベリョーフ公[2]
  • レフ・ロマノヴィチ(ru) - ヴォロトィン公[2]
  • ユーリー・ロマノヴィチ(ru) - オドエフ公[2]

出典

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  1. ^ a b c d Новосильское княжество // Все монархии мира
  2. ^ a b c d e f Войтович Л.>3.8. ОЛЬГОВИЧІ. ГІЛКА МИХАЙЛОВИЧІВ. ОДОЄВСЬКІ. ВОРОТИНСЬКІ // Князівські династії Східної Європи (кінець IX — початок XVI ст.): склад, суспільна і політична роль. Історико-генеалогічне дослідження. — Львів: Інститут українознавства ім. І.Крип’якевича, 2000.
  3. ^ Кром, Михаил Маркович, «Меж Русью и Литвой», М.: «Археографический центр», 1995.