ノート:アムリットサル事件

最新のコメント:15 年前 | 投稿者:Chichiii

無差別に発砲したのはイギリス人警官か、それともイギリス軍なのか?資料では表記が2通り見れた。--Halloween code 2007年5月2日 (水) 05:57 (UTC)  イギリス人警官? それは前日までの暴動と勘違いしておられませんか? ジャリンワラバーフ事件の時に現場に居たのは、シーク教徒からなるインド軍部隊ですよ。返信


人種的差別撤廃案の挿入は文章としても唐突ですね。人種的差別撤廃案と事件の関連を訴えたいのなら、まずはその根拠を示してください。この事件はローラット法への反感だけで十分に説明がつきますし、そもそも、背景となる騒動は全て、廃案になる前に発生しています。ガンジーの非暴力による抵抗の呼びかけは3月30日と4月6日、過激派による武装蜂起の呼びかけが4月6日以前、軍事支援を訴えるアフガニスタンとの接触が4月8日、大きな暴動の発生も4月8日からで、いずれも提案が否決する前です。ジャリンワラ・バーグの集会は、逮捕された指導者の釈放を訴えるものでした。そして、虐殺のショックと戒厳令施行のためでもありますが、13日以後、事態はむりやり沈静化に向かっています。またマイナーポイントとして、暴動騒ぎが過激派の地盤だったパンジャブに限られていたことは、全インド的問題である人種差別とは問題点が違ったことを示唆しているのではないでしょうか。私は人種的差別撤廃案の顛末は残念に思っていますが、だからと言って過大評価で歴史的な事象を捻じ曲げるような主張は、韓国の一部おバカな人々みたいでイヤです。--133.48.54.216 2009年3月27日 (金) 03:06 (UTC)返信

参考文献では「日本の人種平等要請とその拒絶」という章のなかでの「拒絶と反動」という節のなかに書いてありましたので記載しました。たしかに直接関係あるとまでは言えないかもしれません。ただ、世界中で講和会議のでの人種差別撤廃案の報道は随時されていたので、暴動の要素の一部ではあったと思いますが、現段階では断定できませんので削除については異論はありません。--Chichiii 2009年3月27日 (金) 13:54 (UTC)返信

 横入り失礼。Chichiii様、あなたは不正確な資料を掴んだようですね。そもそも、アムリットサルでは、暴動の際に電話局が破壊されていて、パンジャブ政府は一時、中央との連絡が途絶して無線通信を使わねばなりませんでした。この通信状況で、かつ大暴動の渦中であるアムリットサルで、二日前のニュースが伝わっていたとも思えません。--220.150.210.151 2009年3月27日 (金) 14:23 (UTC)返信

資料は正確だと思います。ただ、直接この事件とは結び付いてなかったということみたいです。私の勇み足です。資料は国連の推薦図書にもなっている「国家と人種偏見」です。申し訳ありませんでした。--Chichiii 2009年3月27日 (金) 14:28 (UTC)返信
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