ノート:ウィキペディアへの批判/過去ログ1

最新のコメント:10 年前 | トピック:虚偽出典に基く批判的記述について | 投稿者:223.132.62.132
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改名提案

記事名ですが、「ウィキペディアへの批判」ではどうですか。 --fryed-peach [会話|投稿] 2008年5月21日 (水) 12:58 (UTC)

(賛成)英文版ではCriticism of Wikipediaとなっていますが、日本語での「の」には「への」が持つ方向性が一般的にあるとは言えません。英語のofは「に関して」の方向を暗示する意味もありますので、「への」付きへの改名が正しい日本語であると同意します。--Namazu-tron 2009年1月15日 (木) 12:49 (UTC)
(賛成)この記事名ですと、ウィキペディアがほかの何かを批判している、というように誤解されるおそれがありますので、記事の内容を踏まえ改名に賛同します。--Ziman-JAPAN 2009年1月19日 (月) 00:38 (UTC)
(賛成)「ウィキペディアに関する批判」という意味でしょうね。提案に賛成いたします。--Penn Station 2009年1月24日 (土) 01:02 (UTC)
(賛成)Ziman-JAPAN さんに会話ページでお知らせいただくまでしばらく放置しており、申し訳ありません。改めて「ウィキペディアへの批判」への改名に賛成を表明します。--fryed-peach [会話|投稿] 2009年1月24日 (土) 05:07 (UTC)
賛成多数により移動しました。--fryed-peach [会話|投稿] 2009年1月27日 (火) 14:55 (UTC)
 英文版ではCriticismと書いて有りますが、書かれている内容は殆ど批判(事実を突き合あわせて判断する)と言うより非難でしょう。「ウィキペディアに対する非難」への改名を提案します。--Anonymouse jp会話2013年12月13日 (金) 13:52 (UTC)

虚偽出典に基く批判的記述について

「批判を行った主体の提示が無ければ、記載の特筆性なし」という理由で差し戻されたが、頼むからノートで提起するなりしてコンセンサスを経てからにしてほしい。日本有数の宗教団体である創価学会のページ(勿論閲覧数も編集回数もとても多い)について、半年以上虚偽記載が残されていたというのは特筆性があるのではないかね。さらにこの悪質なことは存在してもいないAERAの記事を「ソース」としていた、AERAと朝日新聞出版の信頼性も毀損するような反社会的要素があることであり、これは書くに値しないとは到底思えないのだが。--118.237.76.238 2014年1月18日 (土) 15:19 (UTC)

一週間経っても対話する気がないようなので(管理者って何?)復活させておいた。特筆性がないというのなら、この程度の虚偽記載がwikipedia日本語版には頻出しているということを証明してほしい(もちろん創価学会と同程度に有名な存在の項目で、創価学会と同程度に閲覧数と編集者が多い記事で)。まあ20個くらい挙げてくれればいいんじゃないでしょうか。それはそれでwikipedia日本語版が私が想定するよりも遥かに脆弱だということになるのだが。--182.169.194.133 2014年1月26日 (日) 12:30 (UTC)

全然「この程度の虚偽記載がwikipedia日本語版には頻出しているということ」が証明されないではないか。実にレアケースとしての悪質かつ長期的な虚偽記載なので絶対に記載すべきですよ、こういうのは。あと世界的な観点ばかりで日本語版の事例が一切ないというのもおかしすぎるでしょう?--110.67.115.18 2014年2月2日 (日) 11:39 (UTC)

Wikipedia:検証可能性への明確な違反。「記載すべき」とかは、信頼性ある出典提示なければ、あなたの独自研究として差し戻されます。これはWikipediaの基本ルールです。--Los688会話2014年2月2日 (日) 11:41 (UTC)

「創価学会」の記事のノート、およびAERA2013年3月11日号を読めば簡単に検証できますが。--110.67.115.18 2014年2月2日 (日) 11:44 (UTC)

あーそれと「記載すべき」ってのはノートやコメントでは書いているが本文では一切描いていないので差し戻し理由にはならんよ。無礼な言いがかりはやめてください。--110.67.115.18 2014年2月2日 (日) 11:46 (UTC)

  •   コメント 横から失礼します。110.67.115.18さんの仰る内容(「AERA2013年3月11日号を読めば~」)は、あくまでも虚偽出典に基く記述が存在したということに関する典拠であり、同件に関する批評が存在する旨の典拠ではないとお見受けします。同件の本項本文への記述を希望されるのであれば、虚偽出典に基く記述がされた旨を報じた新聞・雑誌記事など検証可能性を満たす第三者出典をご提示いただいた上で記述してください。もし存在しないのであれば本文への記述はお控えくださいますようお願い申し上げます。--MaximusM4会話2014年2月2日 (日) 12:14 (UTC)
ウィキペディアは仕組み上、間違えた記載が掲載されることは残念ながら多々あることであり、Wikipedia:免責事項にもあるように信頼性は全く担保されておりません。ウィキペディアの情報を裏取りをせず利用したならば、その利用者(特にマスコミ関係)の自己責任の範疇となり、ウィキペディア側の責任とは言い難い部分があります。また、ノート:創価学会は拝見いたしましたが、著名人物・機関等がウィキペディアに対して「批判」を行ったという記載は見つけられませんでした。ウィキペディアに対して「批判」を行ったのは、どなたなのでしょうか。○○氏は○○誌上でこれこれと批判したという文章を出典を提示しつつ書けますでしょうか。それらができない限り、批判文章の掲載はほぼ不可能です。Wikipedia:検証可能性にもあるように、出典を提示するのは、記載者側の義務であり、削除されても仕様がありません。「批判」の文がある出典の提示をお願いいたします。--Los688会話2014年2月2日 (日) 12:22 (UTC)
ようやく対話の場に来ていただいたことは感謝申し上げます(2週間ノートにやってこなかったことは一生覚えておくが)。さて、MaximusM4さんの「検証可能性を満たす第三者出典をご提示」、Los688さんの「著名人物・機関等がウィキペディアに対して「批判」を行ったという記載は見つけられませんでした(中略)「批判」の文がある出典の提示をお願いいたします」という文章は、一般の記事ならまさしくその通りである。但しこの記事は「ウィキペディアへの批判」であり、私が追記した節としては「荒らし行為に対する脆弱性」である。Wikipedia:検証可能性には、wikipedia自身をソースにしてはならないとあり(当たり前だ)、その一方で《ウィキペディアプロジェクト自身についての説明文に限っては、ウィキペディア内の情報を出典とすることは循環ソースではありません。その際はウィキペディアが一次資料になる》とある。すなわち創価学会の2013年5月24日から12月1日までの版がすべて一次資料になると考えられる。特定版削除もされていないのだし(まさか半年以上放置された、あれほどの有名団体の記事の虚偽記載が批判されるに値しないものとは思われてはいないだろうし、脆弱性の表れではないと判断してはいないだろうと信ずる)。また、Wikipedia:出典を明記するでは、酸素の例を出して《一般的には本文中では出典を述べずとも単純に事実を記述のが最善です》(記述のが、はタイポだろうな、多分)としている。この場合も単純に事実を記述するのが最善なほど明々白々なことであるのは言うまでもない。私は、本文中に書いた部分については「まったくの虚偽記載が存在していた。だからwikipediaは信頼できない。」とか「まったくの虚偽記載が存在していた。ゆえにwikipediaの管理者は無能である。」などの価値判断を込めた記述は一切していない。ただ「まったくの虚偽記載が存在していた。」と事実だけを淡々と記述している。無論、合意を形成しろと私は最初に差し戻された際に言っているので、ここで「ウィキペディアプロジェクト自身についての説明文に限っては、ウィキペディア内の情報を出典とすることは循環ソースではありませんが、この『ウィキペディアへの批判』に限ってはそのようなことは認められない」という合意が形成されるのなら、私としても記述を控えること吝かではない。なお、世界的観点ばかりで日本における例が一切ないことは異常であるとは、重ねて申し上げる。--110.67.115.18 2014年2月2日 (日) 13:24 (UTC)追記:wikipediaにアクセスした際にipアドレスがどうのこうのと警告文が出たが、あたかもこちらを荒らし扱いしているようで不快極まりない。--110.67.115.18 2014年2月2日 (日) 13:33 (UTC)
  •   コメント 本項が「ウィキペディアに対する批判を主題とした、標準空間(Help:名前空間を参照)に存在する記事」である以上、記載対象は他の記事と同じく第三者資料によって批判的に取り上げられたウィキペディアに関する事象であることが大前提です。従って「批判的に取り上げられるべき事象を脚色を交えずに事実のみを記載した」では、「批判的に取り上げられるべき」という110.67.115.18さんの独自解釈が混じっていますのでウィキペディアの方針には合致しません。また、日本国内における例が記載されていないのは、これまでの日本国内においては検証可能性を充足する資料においてウィキペディアに対する批判が行われる機会が極めて少なかったというだけではないでしょうか。--MaximusM4会話2014年2月2日 (日) 14:02 (UTC)
第一。《「批判的に取り上げられるべき」という110.67.115.18さんの独自解釈》と仰るが、長期にわたる虚偽記載が批判されるべきものというのは、「大量虐殺は悪」と同じくらい当たり前のことで、独自解釈でもなんでもない(但しこの件の虚偽記載よりはるかに長期的で悪質なものが発見された場合はそちらが優先されて記述されてもいい)。第二。標準空間にあろうがなんだろうが本記事は「ウィキペディアへの批判」であり、《ウィキペディアプロジェクト自身についての説明文に限っては、ウィキペディア内の情報を出典とすることは循環ソースではありません。その際はウィキペディアが一次資料になる》が適用されると考えられる。--110.67.115.18 2014年2月2日 (日) 14:26 (UTC)
  •   コメント 「長期にわたる虚偽記載」はあくまでもウィキペディア内部の出来事であるということをご理解ください。そのことを「批判的に取り扱われるべき事象」として記事へ記載するには、新聞・雑誌など第三者資料によって批判的に取り上げられることが最低条件である、ということです。好むと好まざるとに関わらず、それがウィキペディアにおける方針です。「郷に入りては郷に従え」という慣用句の通りです。ご理解ください。--MaximusM4会話2014年2月2日 (日) 14:55 (UTC)
例えば不倫の項目を見てみよう。《道義的に問題のある行為であり、その代償は非常に大きい》と、何の典拠(第三者資料)も示さず批判的に取り上げられている。これは社会通念上不倫が批判されるべきものだからである。それと同様に「長期にわたる虚偽記載」もまた、何の典拠も示さず批判的に取り上げられても当然のものである。それとも「虚偽記載」が批判されるべき行為かどうかまで典拠を示せというのだろうか。お望みとあらば、最近話題になったホテルの食品偽装の記事でも漁ってみることをお薦めする。虚偽記載が批判されるべきものであることが嫌というほど分かるであろう。それとも虚偽記載は一般的に批判されて然るべきだが、創価学会・池田大作への虚偽記載は典拠がなければ批判されるべき行為かどうか判らないとでも言うのだろうか。まさか! いかなる存在を対象にするものであったとしても、虚偽記載など批判されて当然のもので、それが「ウィキペディアへの批判」の項に書かれるのは仕方がないことである。繰り返すが、日本有数の宗教団体である創価学会のページ(勿論閲覧数も編集回数もとても多い)について、半年以上虚偽記載が残されていたというのは特筆性があるのではないかね。さらにこの悪質なことは存在してもいないAERAの記事を「ソース」としていた、AERAと朝日新聞出版の信頼性も毀損するような反社会的要素がある、極めて異常な事例だ。但しこれ以上に長期的かつ悪質な事例があるならそちらを優先して記載すべきだし、この程度に長期的かつ悪質な事例がwikipedia日本語版に頻出しているのなら特筆性はない。なお、《ウィキペディアプロジェクト自身についての説明文に限っては、ウィキペディア内の情報を出典とすることは循環ソースではありません。その際はウィキペディアが一次資料になる》について反論はないということでいいのですね。--182.169.172.81 2014年2月3日 (月) 13:07 (UTC)
  • (インデント戻す)繰り返しとなりますが、本項に記述が可能な事象は「第三者出典によって批判的に扱われたもの」であり、「批判されるべきもの」ではありません。同件が記事に対する信頼性という観点から極めて重大な事案であるとは思いますが、それはあくまでもウィキペディアという一ローカルサイト内部での話です。同件がウィキペディア外部に影響を及ぼしたという事実は確認できません。本項へ同件を記載するのは、社会的に影響を及ぼしたことが確認された時点、すなわち第三者出典によって同件が取り扱われた後でなければ認められません。
今回の一件について、IPさんに「納得せよ」とは申しません。ただし、現時点での同件の本項への記述は諦めてください。私から申し上げることは以上です。--MaximusM4会話2014年2月3日 (月) 14:07 (UTC)

1ヶ月経ったが他の人からも何の意見もないようである。まあ私としても議論になっているものを無理に編集するつもりはない。《ウィキペディアプロジェクト自身についての説明文に限っては、ウィキペディア内の情報を出典とすることは循環ソースではありません。その際はウィキペディアが一次資料になる》について何の有効な反論も頂いていないし、管理者が2週間対話を拒否し議論無しの差し戻しを繰り返したことは度し難いが。履歴を見れば分かるように私は差し戻されてもノートで対話を呼びかけているが、それを無視し続けたのは管理者さんサイドである。Wikipedia:投稿ブロックの方針をご覧のように対話拒否はブロック対象の行為である。またWikipedia:井戸端/subj/説得を無視し基本方針を無視または軽視し続ける利用者はブロックするよりないのかのような場所でこそこそと陰口を叩く人も出ており、wikipedia日本語版のモラルは地に落ちているとも付言しておく。--111.217.215.252 2014年3月13日 (木) 15:05 (UTC)

MaximusM4さんから1週間の投稿ブロックを受け(その後すぐ解除されたようだが、気づかなかった)、その後現実世界での事情によりこちらにこれなかったこと、お詫び申し上げます。また、卑劣な陰口を叩かれ、頭に血が上ったからとはいえここにツイッターのアカウントを晒すのはノートページの逸脱と捉えられても仕方ないもので、これについては、謝罪します。たいへん失礼しました。私はノートで対話を呼びかけても無視するような人や卑劣な陰口を叩く人とは根本的に性質が異なっているので、はっきりと謝罪申し上げます。 さて仕切り直しである。日本語版への批判として追記したが、無論記事全体の分量の問題もあり、正当な理由が示されればある程度削ったり、逆に増やしたりすることも検討されるべきだろう。助言を乞いたい。無論、今回はすべて出典を示してあるので、まさか議論なしに削除することなどありえないとは思う。--115.163.178.111 2014年3月30日 (日) 02:27 (UTC)

ウィキペディア内での利用者間の話し合いを円滑に行うためには、まずIP様の作業履歴の分断から何とかするべきでしょう[1][2][3][4][5][6][7]。話しはそれからです。--Triglav会話2014年3月30日 (日) 06:55 (UTC)

特に誰も否定も肯定もしないようなので、更に3人の識者による批判を追加した。今後、更に増えることも有り得よう。「ウィキペディア日本語版への批判」という項目に分割することも必要かも知れない。ところで、ある管理者から教えてもらったのだが、某匿名掲示板で本記事の「版間の差分」にリンクを張り「退場者の恨みつらみを殴り書きされてもなぁ・・・」という書き込みを行った者がいる。私は普段その某匿名掲示板を見ないので、昨日まで気付かなかった。このような卑劣な陰口を叩くくらいなら、何故ノートで議論をしないのか。下劣である。そもそもどこが「殴り書き」なのか。その者には猛省を促したい。--223.132.62.132 2014年4月8日 (火) 13:32 (UTC)

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