ノート:ウィリアム・ルブルック

 2013年4月24日 (水) 14:18‎以前のバージョンは、ルブルック派遣の理由について疑問があるので2013年5月25日に大幅に改稿しました。ルブルック派遣の動機は、護雅夫訳 『中央アジア・蒙古旅行記 遊牧民族の実情の記録』の内容によると、十字軍の協力要請はルブルック以前に派遣された別の修道士の話であり、モンゴルからの返信も、その修道士の話となっています。ルブルックが派遣される時には、既に十字軍への協力という構想は挫折しており、派遣の背景はバトゥの息子サルタクへのルイ9世からの書簡を送り届けるということになっています。以前の記事では、ルブルックの存在は、カルピニのような、外交的存在となっていましたが、ルブルックの旅行記を読むと、彼は外交使節ではなく、モンテコルヴィーノやオドリコと同じ、伝道者タイプです。ルブルックという人物の印象そのものがまったく異なることから、護雅夫の翻訳と解説に基づき、派遣の動機の部分を全面的に改稿しました。もし、護雅夫の翻訳や解説が、その後新説により覆され、2013年4月24日 (水) 14:18‎以前のバージョンの方がより正しい内容だということが明らかになった場合は、そのように変更してください。

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