ノート:コンテンツ

最新のコメント:15 年前 | トピック:作品としてのコンテンツ、通信業界でのコンテンツ | 投稿者:Sibazyun

なるほど

冒頭の2項目について

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思想、感情が含まれないものはコンテンツではないのでしょうか?

また目次についてですが英語の Contents自体は内容という意味であって目次は Table of contents(内容の表)の略ではないでしょうか?

どちらもいらないように思います。+- 2006年9月7日 (木) 21:15 (UTC) ijiijk返信

作品としてのコンテンツ、通信業界でのコンテンツ

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現在ある記述は、いわゆる「作品」としてのコンテンツについてのようです。他に通信業界で言うコンテンツがあります。これも、コンテンツフィルタリングのように、作品ではないが、ある種の意味をもった内容(有害とか政治的とか)をさすものもあります。もっと信号よりでは、通信プロトコルのエンベロープに対するコンテンツのように、メッセージの意味合いを問わないものもあります。これらについて、記すなら、冒頭の2行目から別の文を入れる必要があると思い、加筆には躊躇しています。 --Sibazyun 2009年7月17日 (金) 13:45 (UTC)返信

また、教材という意味でe-ラーニングで使われています。--Sibazyun 2009年7月18日 (土) 12:32 (UTC)返信

マーシャル・マクルーハンへの言及について

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>>コンテンツは、マーシャル・マクルーハンが「メディア論」の中で提唱している、メディアの中のメディアに当たるものである。そのため、コンテンツはメディアでもある。また、マクルーハンは「メディアはメッセージである」としているため、コンテンツ=メディア=メッセージとなる。

と、記事の中にありますが、マクルーハンがメディア論のなかで指摘していることとしては、なにか違和感を感じます。というのも、彼は著書のなかで、特に邦訳8ページで、コンテンツを二つの意味で用いていると考えられるからです。

たとえば、

・「どんなメディアでもその「内容」はつねに別のメディアである」

・「「話しことばの内容はなにか」と問われたら、「実際の思考のプロセスで、それ自体は非言語的なもの」ということにならざるをえない」

といっており、ここで前者は“”でくくられた内容("content")であり、後者は裸の内容(content)です。

本記事のなかで言及されていることは、もっぱら後者であり、また、マクルーハンがいうところの「メディアはメッセージである」という言葉も日本語としての一般的理解とは若干のかい離があるという意味でも二重の誤解を招く可能性があると考えられます。

したがって、少なくとも改善の余地があると考え、ノートで提案させていただきました。--K_Tomoaki

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