ノート:ソドミー

最新のコメント:2 年前 | トピック:引用部の大部分をウィキソース等の既存訳と差し替えた件 | 投稿者:佐藤十司

ノートをご覧いただき、ありがとうございます。最初に記事の翻訳を行った段階での状態についてノートを残させていただきました。

  • 英語版"Sodomy"の11:44, 12 February 2011 UTC 版をベースに翻訳を行いました。[[1]]
  • 「ソドミー」の言葉の性質上、"Sodomy"の言葉に「ソドミー」「ソドム的」「肛門性交」「不自然な行為」など、英文のなかでも文によって意味合いの違いがあると考え、その場所に適した言葉へ注意しながら訳したつもりではいますが、他の表現が正しい可能性もあります。
  • 聖書や関連書籍、歴史上の出来事や人物などの記述が多くあり、それぞれに対して誤りの起きないよう注意して進めましたが、聖書の訳語として慣例的な表現に全てが統一されていない可能性があります。特に「現代のキリスト教徒の見解」のレビ記27節および28節の文章については、可能な限り意味の通じるように翻訳を試みましたが、高い品質になっていないと思われます。訳語が全くない状態だと続く文章の一部の理解がしにくくなると考え、原文と訳を括弧書きにして併記させていただきました。

未完全な部分が残ってしまいましたが、皆様のお力添えで、高い品質に引き上げていただけましたら幸いです。 --Kompek 2011年3月9日 (水) 16:17 (UTC)返信

外部リンク修正 編集

編集者の皆さんこんにちは、

ソドミー」上の4個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年9月14日 (木) 04:30 (UTC)返信


引用部の大部分をウィキソース等の既存訳と差し替えた件 編集

編集者の皆様こんにちは。 はじめに、記事編集の経験がほとんどなく不慣れなもので、失礼や不備がありましたら申し訳ありませんがご指摘ください。

本記事では引用元であるはずの原文と異なる訳者不明の日本語訳が引用のフォーマットで多く提示されています。ですがふつう引用は原文がそのまま示されるもので、加工を加えた場合はその明示がないと「原文」が「加工された原文」と取り違えられてしまいます。原文でなく訳文を示すのであればそれが訳文であること、また可能であれば誰の訳かも明示したほうが誤解がなくていいはずです。それらが明示されていない箇所が多かったため、本記事ではほとんどの引用が不適切なものに見えました。また、誤訳や日本語として意味が通らない部分も複数ありました。

既存の日本語訳に差し替えて記事の趣旨が変わることもなさそうだったので、とりあえず可能な範囲でWikisourceに存在する既存の訳と差し替えました。古いものですが一定以上のクオリティがありますし、Wikisourceから日本語で前後をすぐ確認できるようそちらにリンクを張るほうが日本語版の読者には便利だろうと考えてのことです。

なお、クルアーンの7章80-81節の引用も日本語として意味が通っていないため誤訳と思われます。ネット上で正当であろう訳を確認はしましたが、引用してよいものか判断がつかず、またそもそも記事内容が引用を必要としないと思われるため引用を外し、章節だけを示すようにしました。--佐藤十司会話2021年8月18日 (水) 11:52 (UTC)返信

フィロンとヨセフスの引用についてご協力のお願い 編集

フィロンとヨセフスからの引用についても日本語がところどころ変になっているように思います。

フィロンのほうは引用元のサイトが登録制で原文が確認できません。おそらくは"QUESTIONS AND ANSWERS ON GENESIS"からの引用だと思うのですが、どこの引用かを確認できませんでした。もし分かる方がいましたら助力いただけるとありがたいです。

ヨセフスのほうはリンク先の原文の英訳を読みましたが、やはり訳文が少し変だと思います。大雑把な意味としては「この頃、ソドムの人々は彼らの財産と大変な富とのために高慢になっていった。人に対しては不正に、神に対しては不敬になり、神から受けた優遇について思い出すことがなくなるほどであった。異邦人を憎み、ソドムらしい(Sodomitical)行いで自らを貶めた。("ABOUT this time the Sodomites grew proud, on account of their riches and great wealth; they became unjust towards men, and impious towards God, insomuch that they did not call to mind the advantages they received from him: they hated strangers, and abused themselves with Sodomitical practices." Antiquities of the Jews - Book I, 11:1)」「ソドムの人々は、若者たちが美しい顔つきをしており、その美しさが並外れていて、彼らがロトと同宿していたのを見ると、この美しい青年たちを腕力と暴力とで楽しもうと心に定めた。ロトは落ち着くように、不謹慎なことを何もさせないように、とにかく彼らがロトの家に泊まっている[客である]ことを考えて配慮してくれるよう、熱心に訴えた。加えて、彼らの心が抑えられないようであれば、その肉欲にはこれら異邦人たちのかわりとして、彼の娘たちをさらそうと約束もした。だが訴えも約束も彼らを恥じさせることはなかった。("Now when the Sodomites saw the young men to be of beautiful countenances, and this to an extraordinary degree, and that they took up their lodgings with Lot, they resolved themselves to enjoy these beautiful boys by force and violence; and when Lot exhorted them to sobriety, and not to offer any thing immodest to the strangers, but to have regard to their lodging in his house; and promised that if their inclinations could not be governed, he would expose his daughters to their lust, instead of these strangers; neither thus were they made ashamed." Antiquities of the Jews - Book I, 11:3) 」ということだと思うのですが、どうしても私訳をこの手の記事に使う気になれず、手をつけられません。この手の文献の翻訳は用語法や歴史的文脈、信仰上の立場など考えるべきことが多く、きちんと訳せないからです。しかるべき既存訳をご存じのかたがいましたら修正をお願いします。--佐藤十司会話2021年8月18日 (水) 11:52 (UTC)返信

細かい話(興味のない向きは読む必要のない話) 編集

・今回、「誤訳や日本語として意味が通らない部分も複数あり」と述べ、それを前提に話を進めましたが、せっかくしてもらった翻訳に具体的例示もなしにそう言うのはどうも気持ちが悪いですし、非礼かつ不誠実だと感じるため、例証として二箇所分かりやすいところを挙げます。

一つ目は記事冒頭の創世記19:9の引用部です。KJVの"And they pressed sore upon the man, even Lot"の訳が「彼らはロトが痛がる場所を押しながら」となっていますが、このsoreは副詞であり「ひどく、はなはだしく、激しく」を意味する古い用法と解するのが自然です。KJVの現代英語版であるNKJVでこの箇所は"So they pressed hard against the man Lot"となっていますし、New International Versionでは"They kept bringing pressure on Lot"、English Standard Versionでは"Then they pressed hard against the man Lot"です。日本聖書協会による1955年の訳も「彼らはロトの身に激しく迫り」となっており、この意味で訳されています。 もちろん辞書を見ればsoreには「痛がる場所」という意味の名詞用法もありますが、これを名詞と考えると無冠詞である理由が説明できません。ここがan open soreでもold soresでもthe soreでもなくsoreでなければならない理由が見当たらないからです。ロトの肌に傷や腫れがあるという記述はこの近くにありませんから名詞のsore自体が唐突ですが、無冠詞というのはさらに奇妙です。そこで副詞と考えれば意味の面でも形の面でも自然になり、問題や疑問は発生しません。

二つ目は知恵の書(ソロモンの知恵)の19:13の訳です。 「雷鳴の前触れもなく」とありますが、リンク先の英文は"not without former signs"ですから、not+withoutという否定の否定です。前触れなしにではなかった、つまり前触れがあったということです。また、「彼らの邪悪さや、よそ者に対する辛く憎悪に満ちた態度にを与えた苦しみに報いるために」は単純に意味がよく分かりません。「にを」が「に」のタイポか「を」のタイポかも文脈から判断できません。意味としては「外から来た者[よそ者・異邦人]たちになお辛く当たり、憎しみに満ちた行いをする、そのような自身の邪悪さへの報いとして」ということだと思いますが、これはウィキソースにあった旧約聖書続篇翻訳委員による1934年の訳から(昔の文ではありますが)十分に読み取れるものなので(「また、罪人の上には罰來りしが、それは雷の力をもて、豫め示されししるしによるものなりき。彼等はその惡によりて、苦に逢ひしは正しかりき。彼等がその客に向ひてなせる憎しみは、まことに歎しきごとにてありたればなり。」)そちらに差し替えました。

人様の粗捜しもそれを書き出すのも嫌なのでこれ以上の説明はしませんが、他の訳文にもこれと似たような問題が散見されたため今回の編集を行ったものです。--佐藤十司会話2021年8月18日 (水) 11:52 (UTC)返信

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