ノート:チェルニーヒウ公国

最新のコメント:15 年前 | トピック:ルーシ時代(中近世)の事物の表記に関わる問題 | 投稿者:ПРУСАКИН

チェルニーゴフにするか、チェルニーヒウと呼ぶか、相当もめているようですが、当時には当時の呼称がありますので、そちらに基づいた日本語表記をお願いします。(ラヴレンチー、イパーチー写本を参照のこと)。 --133.50.230.252 2008年11月14日 (金) 11:28 (UTC)返信

市の名前はチェルニーヒウです。ですから、チェルニーヒウ公国当と呼ぶのが相応しいと思います。「当時」はどう読んでいたか出典を提出してください。-- Alex K 2008年11月15日 (土) 17:56 (UTC)返信

「出典」:上記の通り、ラヴレンチーとイパーチーです。それからペチェルシクのパテリクです。--133.50.230.252 2008年11月16日 (日) 05:50 (UTC)返信

繰り返しになりますが、「当時」はどう読んでいた出典を提出してください。「ご自分で調べてください云々」というのは出典の提出ではありません。-- Alex K 2008年11月17日 (月) 09:46 (UTC)返信

わかりました。ごめんなさい。Alex Kさんの方がお詳しいと思ったもので。以前、イパーチーをすぐに調べていただいたので。 まず具体的な箇所はネットでも見られますが、ラヴレンチー写本では Черниговъの形で12葉, 50, 50葉裏, 54裏, 55, 57裏, 58, 65, 65裏, 67, 67裏、68裏, 69, 72裏、73裏、75、76裏、92葉。 черниговциの形で67葉裏、черниговскыиの形で、70裏。 次に、イパーチー写本では、Чернигов或いはЩерниговの形で、12、12裏、19、55裏、60裏、63裏、64、71裏、74、74裏、76-77、78、80、81、84裏、93裏、102、107、108裏、110-111、112、112裏、114、114裏、115裏、116、121、125裏-127、128、131-133裏、134裏、137裏、139裏、145、148、153、158裏、160裏、164裏-165裏、168裏、172、173、175裏、176、178裏、179、181、183裏、185、186-187、189、191裏、192、196裏、202-203、205、210、211、211裏、215裏-216裏、217裏、218、219、220裏、221、225、225裏、227、227裏、236裏、238裏、240、242裏、252、261裏、264、266、267裏、268裏、283、305葉。形容詞は略します。ご希望ならおっしゃってください。

次いで、говъが当時どのように呼ばれていたかについては、音韻論と歴史言語学関係の研究を引き合いに出すしかありません。ただ一般的にはоの表記を「イ」の音と考えることは、インド・ヨーロッパ語族の研究においては革命的見解ではないかと思います。音価については日本語では木村彰一の「古代教会スラヴ語入門」の音価に関する部分(31-50頁)(大学図書館に蔵書されています)が最も明快ですが、ヨーロッパの学者のものであれば、木村先生も参考にされている一覧中の、特にAltkirchenslavische Grammatik : mit einer Auswahl von Texten und einem Wörterbuch / von Paul Dielsが良いとされています。これも大きな図書館なら入っていると思います。

他にご質問があれば、わかる範囲で調べますのでおっしゃってください。 ちなみにAlex Kさんは、どうして「ヒウ」なのでしょうか。カテゴリーにあるように、現存しない国家なので、歴史的名称を使うのが最善かと思います。チェルニーヒウ市は現存していますから、そのままでいいと思います。--133.50.230.252 2008年11月17日 (月) 12:23 (UTC)返信

コメント有難う御座います。話を2つのテーマに分けさしていただきます。

  1. 当時」について。チェルニーヒウ公国は10世紀から13世紀まで存在した国家です。その国家の正確な名称を伺える10世紀-13世紀の史料は現存していないようです。『ルーシ年代記』があるものの、それは原本がなく、後世の写本しかありません。また、その写本はチェルニーヒウで編集されなかったことも留意する必要があります。それが故に、「当時」、つまり10世紀から13世紀までの期間に、チェルニーヒウ公国の正確な名称は、どのようなものであったか、我々が知る術もありません。「当時」の史料が発見されるまでですね。
  2. 呼称」について。ご存知だと思いますが、古代・中世の日本のみならず、ルーシにおいても「文語」と「口語」が存在しておりました。ルーシの両語では、日本語ほど大きな差はないにしても、多少の差があったと考えられています。「文語」では教会専用の「教会スラヴ語」と事務専用の「古代ルーシ語」が存在し、また、「口語」では標準語のようなものがなく、多数の地域の言語が存在していたことが一般的に知られております。「教会スラヴ語」は南スラヴの諸言語に基づいていて、「文語」の「古代ルーシ語」との違いがあり、さらに、ルーシの本土の口語、つまり、キエフ・チェルニーヒウ・ペレヤスラウの諸言語とかなりの差異があったとされています。
『ルーシ年代記』(ラヴレンチー、イパーチー写本)が「教会スラヴ語」で書かれていたので、『ルーシ年代記』に出てくるルーシの固有名詞が変更された形で登場する可能性が高いです。また、『ルーシ年代記』の写本では後世の言葉が入り込んでいることもあり、10世紀-13世紀では現在のチェルニーヒウはどのように呼ばれていたか、正確にわかっておりません。要するに、ルーシにおける諸言語の存在と『ルーシ年代記』の編集過程・再編集過程を考慮すると、10世紀から13世紀までの間に現在のチェルニーヒウの呼称はどのようなものであったのか、わかりません。チェルニーゴフという呼称が存在していたことが否定できない一方で、チェルニーヒウという呼称が存在しなかったことも否定できません。なぜなら、チェルニーヒウという名は、近世においてウクライナ北部のコサックが編集した『目撃者の年代記』などにもでてきます。133.50.230.252さんが仰るように、оの表記を「イ」の音と考えることは、革命的見解であれば、なぜチェルニーヒウのコサックたちは、「チェルニーゴウ」を「チェルニーヒウ」に変えた事ができたのでしょうか?彼は言語学の革命者ではなかったようです。
答えは簡単だと思います。19世紀以来、ロシア語は「教会スラヴ語」と北方ルーシの口語の要素を色濃く含めているの一方、ウクライナ語は「古代ルーシ語」と南方ルーシの口語の要素を有していると言われてきました (Соболевский. Очерки по истории русского языка. К., 1884; Филин. Происхождение русского, украинского и белорусского языков. Л., 1972.;Седов. Славяне в раннем средневековье. М., 1995など)。一般的に、ロシア語は連体修飾格を「ov」「yov」の語尾で表記しているのに対して、ウクライナ語は連体修飾格を「iv」「yiv」と表記しています。従って、「チェルニフの」町は、北方ルーシにおいて「チェルニフov」(チェルニーゴウ)と呼ばれ、チェルニーヒウが位置する南方ルーシにおいて「チェルニフiv」と呼ばれていたことになります。要するに、「チェルニーヒウ」は「教会スラヴ語」的な呼称と違って、南方ルーシの口語的な呼称であり、従来の呼称であるということです。
結論として、チェルニーヒウは南方ルーシにあったことと、現地の地名であること、また、従来の呼称であることに基づいて、当記事いおいてチェルニーヒウという呼称を一貫して使用することが相応しいと思います。-- Alex K 2008年11月19日 (水) 09:22 (UTC)返信
横から失礼します。拝見するところ、お二人の論点がふたつの問題に分かれているように思われます。ひとつは原初年代記写本でどう表記されているか、という問題、もうひとつはそれがここで優先するに値するか、という問題です。
もしイパーチー写本(なり他の版なり)をこのページにおいて必ず優先すべきなのであれば「-gov」系の表記を使用すべきだというのは、133.50.230.252さんが調べてくださったおかげでよくわかりました。それに対する反論として、Alex Kさんの仰る写本における使用言語の変更の可能性(それに伴う単語・語彙に変化が出ている可能性)、ならびに時代は下るが地域の近いウクライナのコサック文献における「-ヒウ」系の用例の紹介も論理的であると思います。コサック文献の実例が出されていない点は133.50.230.252さんが逐一イパーチー写本の用例を調査されたのに比べるとやや説得力に欠けますが、この点は重要な問題ではないでしょう。ただ、ひとつだけいえば、やはり「o」を「イ」と読むことはありえませんよ。そういうことではなくて、「o」と書く代わりに「i」と書いていたかどうか、ですね。
さて、私がここで問題にしたいのは、当時の同時代的発音がわからないし、ましてそれをどう片仮名表記したらよいのかわからない、という点です。「チェルニーヒウ」ではなく「Черниговъ」が正しかったとしても、それを「チェルニゴフ」と読むのはまったく自明ではありません。現代のウクライナやベラルーシでの発音傾向から推測すると、「го」を「ゴ」ではなくて「ホ」と読んでいた可能性は十分考えられます。また、文字表記から考えれば、「в」と書くからにはその昔には文字通り「ヴ」と読んでいたのではないでしょうか(英語の「night(ナイト)」が昔はもっと文字通りに近い発音をされていたこと、日本語の「てふてふ(ちょうちょう)」も昔は「てふてふ」と発音されていたと考えられていること、などから類推します。一般に、表記というのは初めから文字と発音がずれて表記されるものではなく、最初は一致していたのがあとになって徐々にずれが生じたと考えるのが言語学的には自然です)。したがって、「Черниговъ」が「チェルニーホフ」や「チェルニーゴヴ」、あるいは「チェルニーホウ」などと発音されていた可能性を排除して、ごく当たり前のように「チェルニーゴフ」とみなすのはそれは現代ロシア語の知識に基づく先入観にほかなりません。
日本の昔の事物の場合を考えてみましょう。「大坂城」は現代日本語では「おおざかじょう」と表記され「おーざかじょー」のように発音されますが、この城が作られたころにはそのようには呼ばれていませんでした(中世の仮名表記は異なりますし、「おー」の発音も江戸初期までは開音と合音の区別があったため現代の「おー」とは同一視できません)。しかし、ウィキペディアでは現代日本語の発音を優先的に使用しており、いわんや当時の発音をページ名には使用していません(まあ、大坂城は漢字なのでページ名の表記問題は別ですが、とはいえページ冒頭仮名表記でも当時の表記は書かれていない)。もちろん明らかに違うとわかっている場合もあるのでその場合は違うかもしれませんが、今回のようによくわからない場合というのは、特別現在の都市と異なる表記を使用すべきだという理由がないのであれば、現代の都市と同じ表記を私用していたほうがよいのではないでしょうか。都市のページがチェルニーヒウで、公国のページがチェルニゴフでは、あたかも公国時代はロシア語を使っており、現代になってウクライナが独立したせいでウクライナ語になったかのような印象を受けます。
「チェルニゴフ」にすべきだという意見の正当性は十分わかりましたが、それはイパーチー写本で「Черниговъ」であるということが明らかになったという域を出るものではなく、日本語にする際に「チェルニゴフ」にすることへの十分な説明にはならないように思います。ページ名はとりあえず現代の都市と同じにしておいて、ページ内で「イパーチー写本では「Черниговъ」と書かれるが、当時の発音は明らかでない」と言及するのがもっとも親切なのではないでしょうか。--PRUSAKYN 2008年12月1日 (月) 15:37 (UTC)返信
追伸。書こうと思って忘れていました。年代記の記述の優先性はわかりますが、となるとウラジーミルもヴォロディーミルないしヴォロディーメルあたりに修正しなければならないと思いますし、どのあたりで線引きを行うのかは難しい問題です。--PRUSAKYN 2008年12月2日 (火) 07:25 (UTC)返信

ルーシ時代(中近世)の事物の表記に関わる問題 編集

考えれば考えるほど解決のつかない問題に思われてくるのですが、中世(あるいは近世を含む)ルーシ時代の地名・国名・都市名・民族名・人名などの日本語表記には、いかなる表記を採用するのがウィキペディア的に最善でしょうか。確かに、現存する各種年代記やその写本を参考に、そこでもっとも多く見られる表記を採用するというのはひとつの選択肢としてあると思います。しかし、実際に現在のウィキペディアはそうはなっていません。

例えば、ru:Владимир (город)ではこの都市はもともとВолодимерьであったと解説しており、そのとおりだとするとウラジーミル大公国についても改名を検討しなければなりません。人名についても、「ヴォロジーミル・モノマーフ」とか、「ヴォロディーメル1世」だとかがすぐに思い浮かびます(「ディ」か「ジ」かはよく知りません)。

ことさらウクライナ語名の採用が問題視され、ロシア語名の採用がこれまで無検討で(=無批判に)行われてきたことと、幸い現時点でウィキペディアには何人かこのあたりの優れたページを作成してくれる人が出てきたということを考え合わせると、今の時点で何らかのガイドラインを検討してみるのは無益ではないと思います。

問題が広範囲にわたりすぎて収拾がつかなくなることを防ぐため、私の一存ですが予め検討範囲を決めておきたいと思うのですが、人名や民族名についてはより問題が複雑であるので今回は検討から除外したいと思います。また、都市については現存する都市も多いので、そうなると現在の名称をページ名に使用することとなり今回特に検討する必要はないと思います。地名については、これはルーシ時代に限らず、例えばノート:ポメラニアに見られるようにいろいろの先行議論もありますので、今回は検討範囲から除外したいと思います。

となりますと、今回検討したいのは国名です。確かに「チェルニーゴフ公国」にも「チェルニーヒウ公国」にもそれ相応の言い分があるのは、上のお二方の意見を読むとわかると思います。しかし、残念ながらページ名にはひとつの表記しか採用できないのでこれらから何かひとつのページ名を決めなくてはなりません。

そこで私の提案ですが、例えばウラジーミル大公国が現在のロシア語の発音を元にページが作成されているように、現在の発音を元にページ名を決めてはどうかと思います。その際の言語選択については、その国の公座が置かれていた都市の現在の公用語を原則とするのがよいと思います。つまり、ウラジーミル大公国の大公座のあったウラジーミルは現在ロシア語を使うロシア連邦の都市となっているのでこれはウラジーミル大公国、チェルニーヒウ公国の公座のあったチェルニーヒウやハールィチ公国の公座のあったハールィチは現在ウクライナの都市なのでチェルニーヒウ公国ハールィチ公国、というようにページ名を決めるのが最も合理的であると思います。もし必要であればWikipedia:ウィキプロジェクト 東ヨーロッパに関する正式なガイドライン作りを目指したいと思うのですが、この案はいかがでしょうか。--PRUSAKYN 2008年12月14日 (日) 16:39 (UTC)返信

自分で提案しておいてなんですが、少し問題に気づきました。ルーシ系の公国で、公座が現在も広義のルーシ系の国家(東スラヴ系の国家)に属している場合はそれほど違和感ないのですが、現在ポーランド領となっているプシェムィシルのように、過去ルーシ系国家の都市であったのが現在はそうでなくなっているものも、そういえばあるんですね。「プシェムィシル公国」という言い方は、気にしなければ気になりませんが、気にすれば結構気になります。ルーシ系でないポーランド語でルーシ系の国名を表記するのはどうでしょうか。

  1. 気にせず「現在の都市の公用語を用いる」原則に従う。
  2. 気にして別の法則を考える。

どうでしょう。もし必要ならば、「原則としてルーシ系国家は公座のあった都市の現在の公用語を用いる。但し、その都市が現在非ルーシ系の国家の領域に入っている場合はその限りでない」という程度の留保をつけることも検討したほうがよいかもしれません。--PRUSAKYN 2008年12月15日 (月) 15:36 (UTC)返信


本当は疲れたので書くまいと思っていたのですが、PRUSAKYNさんが前向きな話をされているので。個人的には、当時の(可能であればその自称)読み方を取るべきと考えます。その意味で、ウラジーミルをヴォロジーメルに変える方に一票です。突き詰めると、江戸城を東京城と呼ばなくてはならなくなりそうで(笑)。

 ・それから上の件で二言。上でPRUSAKYNさんは、「ウクライナ語名の採用が問題視され、ロシア語名の採用がこれまで無検討で(=無批判に)行われてきた」とおっしゃられています。たしかに、そういう側面はあったと思います。ただ、そうされてきた理由は別にもあるんです。というのは、教会スラヴ語の伝統やいわゆる「第二次南スラヴの影響」という中世の言語学的現象を受けて、東スラヴの言語の中で、現在のロシア語には(ベラルーシやウクライナ語に比べ)圧倒的に古代スラヴ語の影響が強く残っています。逆に言えば、現在のロシア語を読める人は、省略形の勉強さえ厭わなければ、12世紀の過ぎし年月の物語を凡そ(或いはまあまあ)理解できます。その意味で、「読み(音)」はともかくとして、「綴り」については、ロシア語はかなり色濃く古代スラヴ語に近いのです。もちろんそうでない例外もありますから、逐一調べる必要がありますが、一般的にはかなり多いので、そのまま「ロシア語名の採用がこれまで無検討で(=無批判に)行われてきた」ようにも見えるわけです。ただ全てがその理由によるものではないことだけはご理解下さい。

 それともう一点。自分としてはチェルニーヒウ説にPRUSAKYNさんが、特に上の理由で賛同されたのは残念でした。というのは、自分が年代記の枠を出ないのは百も承知なんです。しかしAlexさんも同じなのです。そうした状況で妥当な呼ばれ方はどうだったのかをする議論の場が上の場だったと思うのです。ですがチェルニーヒウ説の重要史料である「近世の年代記『目撃者の年代記』」は18世紀のものですよ。加えて小生の出した15世紀キエフのペチェルスキー修道院聖者列伝が議論に登らないというのには愕然としました。

 ただ今回の議論は自分にも勉強になりました。AlexさんとPRUSAKYNさんに感謝します。今後もPRUSAKYNさんの活動に期待しています。--133.50.230.252 2008年12月16日 (火) 02:04 (UTC)返信

コメントありがとうございます。感謝します。もし続けてお付き合いいただけるととても嬉しいのですが……。(私の勉強不足=知識なし、というのはいかんともしがたいものはあります……。)
基本方針としての「自称優先」というのには大賛成です。ただ、いかんせん昔の事物になるといろいろ障壁ができてくると思います。
中立的観点とか諸規定のあるウィキペディアにおいて「チェルニーヒウ」に賛成したのは、端的に言えば、「Черниговъ」の読み方が不明であるという音声学上の理由からです。つまり、当時の自称が「Черниговъ」であったとしても(その可能性は低くないと思います)、そこから日本語の「チェルニゴフ」という表記まで持ってくるには少なからぬ飛躍があるということです。上記のとおり、これを躊躇なく現代のロシア語と同じ読みをするのには、疑問があります(疑問があるというだけで間違っているとは言いません)。詳しく知らないのですが、「ъ」はもともとは半母音であったと思います。本当に「フ」になるのでしょうか。当時のルーシの言語の音声学・音韻学について、何かウィキペディアの基準に採用するようなソースはありますでしょうか。あれば、それに従うとうまくいくかもしれません。
「ロシア語名の採用がこれまで無検討で(=無批判に)行われてきた」というのは「ウラジーミル」などが念頭にあります。また、当時の発音を復元するためには(おっしゃるような)「逐一調べる必要」があるにも拘らず、その検証がなされてきた形跡がないことを指しています(少なくともウィキペディアでは。今回がほぼ初めてではないかと)。しかし、かといってその検証を義務付けるのは徒にページ作成者にとってのページ作成の敷居を上げることになりかねません。そのため、妥協案として、これまで「ヴラジーミル大公国」(ヴォロジーミリでない)や「キエフ大公国」(クィーエフでない)が現在の呼び方・読み方でページが作られてきたように、今後ともその方針でいくのが無難なのではないかと思いました。
ただ、まあそうすると確かに江戸城を東京城と呼ぶことになりかねませんね。これは過去現在「誰もそう呼んでない」ということで却下できるかな……。もしくは、地名が明らかに変更されている場合は例外扱いになるかもしれません。チョウを「テフ」でページ作成しないのと同じに考えることができるかどうかはわかりませんが、「Черниговъ」の読み方の問題というのはある意味でそのイメージに近いかもしれません。
土地というのは自ら名乗ることはなく(しゃべりませんから)、常に人から呼ばれる客体(対象)であります。そのため、必ずしも当時の現地の人の呼び方でなくても、妥協できるのではないかと期待しました(他の歴史関連のページもそうですね。例えば、イギリス史関連。例外はあるかもしれませんが、たいてい古英語中英語の読み方をページ名に採用せずに現代英語を使用しています。ドイツ史関連も一部を除きそうですね)。
話を広げてしまうと、人名というのを今回はずしたのは、こちらは事情がまったく異なるからです。人名というのは自称があるわけで、主体となりうるからには呼ぶ人毎に呼び方が違うのを単純に許容するわけには行きません。したがって、こちらは「困難な障壁」であったとしても当時の呼び方を検証し、ページ名に反映させていくという努力は惜しむべきではないと思います。ただ、やはり困難は困難なので、すぐにとはいかないでしょう。したがって、今回は主に国名について話したいと思った次第です。長々と失礼しました。--PRUSAKYN 2008年12月16日 (火) 06:16 (UTC) / 一部コメント修正。余計な言い回しを削り、説明を追加。--PRUSAKYN 2008年12月16日 (火) 09:03 (UTC)返信
別の解決法としては、きちんと検討の上あらかじめ各国の表記を決定してしまうことでしょう。検討の結果「Черниговъ」は「チェルニゴフ」、「Володимир」は「ヴォロジーミル」などときちんと表記を指定できるのであれば「○○語偏重で中立的観点に反する」などという事態は避けられるでしょうし、再検討が必要になった際にも他を参照しながらまとめて考えられるので効率的です。
現在の地名表記をそのまま使うというのであればあらかじめ全国を検討する必要はありませんが、そうでないなら容易に「ウラジーミル」や「チェルニゴフ」が並立しておかしなことになりますので、きちんとした調整方法を考えておく必要があります。--PRUSAKYN 2008年12月16日 (火) 08:18 (UTC)返信
考えますと、具体例で言えば「チェルニゴフ公国」単体はあまり問題ないと思います。問題は、これが「ウラジーミル大公国」とセットになった場合で、こうなるともう「チェルニゴフ公国」はロシア語以外の何者にも見えなくなってしまうのです。つまり、以下4通りの例が考えられます。(以下、公国存在当時の現地の言語を仮定し、「同時代語」と書きます。)
  1. 「チェルニゴフ」---「ヴォロジーミル」
  2. 「チェルニゴフ」---「ウラジーミル」
  3. 「チェルニーヒウ」---「ウラジーミル」
  4. 「チェルニーヒウ」---「ヴォロジーミル」
まず、「1」はこれまで検討しているのでここではよいとしても、「2」の組み合わせは明白なロシア語偏重を匂わせますのでNPOVの観点から絶対に許容されません。「3」はそれぞれ都市のページ名に合わせてあります。「4」の組み合わせは片方がウクライナ語、片方が同時代語でありナンセンスです。ウクライナ語とウクライナ語の組み合わせがだめなことは言うまでもないので省略します。
次に、ここはウィキペディアなのでいろいろの面倒な規則を守らねばなりません。まず、無論のことながらWikipedia:中立的な観点はウィキペディアの公式な方針のひとつであり、Wikipedia:五本の柱のひとつであります。今回は、主にこの観点から議論をしてきました。
一方で、別のガイドラインがあります。WP:NCです。これによれば、ページ名は最も多くの日本語話者に最もよくわかりやすいものでなければならないとされています。この二つの方針は、果たして両立可能なものでしょうか。なお、もし衝突するようであれば私はWikipedia:五本の柱の方を優先すべきであると考えます。
問題は次の点にあります。解決策として考えられている「A」同時代語の名称に揃える、「B」現代の都市のページ名に合わせる、いずれの場合もWP:NCの第一原則に抵触するページ名が発生します。つまり、「ヴォロジーミル大公国」という表記は「大多数の日本語話者」にとって最も理解しやすいものではありませんし、「チェルニーヒウ公国」という表記も見たことがないので最も理解しやすいとは思えません。となると「2」の「チェルニゴフ公国」、「ウラジーミル大公国」の組み合わせになりますが、これは上述の通りロシア語偏重が強く匂うのでNPOV違反です。
さてどうしましょうか。どこかで妥協をしなければ解決できないようです。--PRUSAKYN 2008年12月21日 (日) 15:47 (UTC)返信
(追記)加えて、国になっていない諸都市についても表記法を考えないと、これまでのところ専らロシア語偏重の気味があります。無論、すべてではないにせよ。ただ、これはページ名ではなく本文内での記述の仕方の問題なので、参考程度でよろしいでしょう(本文記述はページ移動しなくてもいつでもすぐに修正できますので、あまり重要議題ではありませんね)。--PRUSAKYN 2008年12月21日 (日) 17:50 (UTC)返信
133.50.230.252さんご賛同の「当時の名称をページ名にする」というのは、やはり一番よいと思います。ただ、そうなるとすでに死語である当時のルーシの言語を片仮名化しなければならないという難題を避けて通ることができません。誰でもルーシの諸公国のページが作れるようにするには、表記ガイドラインであるWikipedia:外来語表記法Wikipedia:外来語表記法/古ルーシ語を作らなければならないでしょう。
ルーシ系国家のページ名をどうするかの問題に限らず、これができると純粋に、非常にすばらしいと思います。どなたか作れる方はいらっしゃいませんか?--PRUSAKYN 2009年1月7日 (水) 15:59 (UTC)返信
中井和夫著『ソヴェト民族政策史』1988によれば、11世紀にはすでにこの地方の言語にはウクライナ語的な特徴が現れてきており、特に「ゲー」の音の「ヘー」への変化が生じていたそうですね。--PRUSAKYN 2009年2月1日 (日) 06:22 (UTC)返信
議論の進展がまったく望めそうにないため、告知テンプレートは一旦除去しました。必要なら、また新しい提案があるときにでも再度貼り付けて下さい。--PRUSAKiN 2009年2月20日 (金) 07:54 (UTC)返信
ページ「チェルニーヒウ公国」に戻る。