デ・ステイルが近代デザインの新造形主義に果たした役割について

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デ・ステイル(De Stijl:オランダ語で「スタイル」の意味)とは、ドイツの芸術家ピエト・モンドリアンとテオ・ファン・ドゥースブルフを中心とした前衛芸術冊子、および画家や建築家の国際的な活動の総称である一方、実には、デ・ステイルが第一次世界大戦の混乱において、「秩序への回帰」を掲げて生まれた芸術活動の一つである。
20世紀初頭、オランダのライデンで創刊されたデ・ステイルは、戦前の芸術の装飾的な傾向(例:アール・ヌーヴォー)を否定し、あらゆる対象を幾何学的形式で描くキュビズムを、新たな芸術の性質として提唱した。即ち、デ・ステイルというグループの基本理念の形成、特には「生活と芸術の統合」の帰結としての「様式」の獲得を諸芸術の統合によって成し遂げようとした試みに、その直接的な参照を見て取ることができるのである。さらに、ファン・ドゥースブルフがモンドリアンの絵画と造形思想に共鳴し、彼とともに新造形主義(Neoplasticisme)を創立させ、この思想を広めるために雑誌の発行(1917‐28)を中心とした新しい造形運動をライデンで起こした 、つまり、従来の具象芸術に対して新しい造形意識は、均衡のとれた関係に基づいた純粋にモニュメンタルな様式を達成するためのあらゆる造形芸術の協働を意味する。モニュメンタルな様式は、種々の芸術の均斉のとれた分業を追求し、客観的で普遍的な表現様式を目指す造形理念である。
一方、デ・ステイルは、大戦前の抽象芸術家およびヨーロッパ美術界の活性化に多大なる貢献をしたと言える。抽象表現を追求し、建築やデザインなどの分野にも変革をもたらしたデ・ステイルは、その後のバウハウスへ大きな影響を与えたほか、ダダとロシア構成主義を繋ぐ架け橋となるなど、ジャンルや国境を越えた活動であり、理想的な共同体の形成への意志を幾重にも織り込むようにして形成された産物であったと言うことができる。

参考文献
五十殿利治、モンドリアンとデ・ステイル スタイルへの意志、キュビスムと抽象美術、小学館、(1996) vol.208、P38
矢代真己、転倒された「様式」という規範、建築文化、彰国社、(2000) vol.55、no.649、P154
速水豊、環境から絵画へ/絵画から環境ヘモンドリアンと初期デ・ステイルの絵画、デ・ステイル1917-1920、vol.63

--以上の署名のないコメントは、Jsyz06005会話投稿記録)さんが 2021-09-07 00:16:16 (UTC) に投稿したものです。

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