ノート:パキスタンにおける信教の自由

最新のコメント:13 年前 | 投稿者:波定

「パキスタンにおける信教の自由」への改名を提案します。これは、より中立的な項目名とするための改名提案です。英語版ではタイトルはen:Freedom of religion in Pakistanとなっています。(参考:ノート:イスラーム教徒による宗教的迫害Wikipedia:削除依頼/宗教的迫害カテゴリ)。同様の項目名になっているものにはイランにおける宗教的迫害サウディアラビアにおける宗教的迫害があります。--波定 2010年5月14日 (金) 10:51 (UTC)返信

コメント「自由」について言及する記述が皆無なのに「パキスタンにおける信教の自由」という記事名は羊頭狗肉なのではないかと。記事を読んでみても現状の記事名の方が内容と合致しているように見えます。仮に「パキスタンにおける信教の自由」という記事名にするのならば、まずは加筆をするなりして相応の内容にする必要があるのではないでしょうか。--110.5.28.203 2010年5月21日 (金) 12:17 (UTC)返信
コメント「信教の自由」で一つの単語ととらえています。「信教」が「自由」なところがあるから「信教の自由」というのでなく、「信教の自由」という権利がどのように取り扱われているか、というニュアンスです。人権の認められない北朝鮮の場合でも「北朝鮮における人権」という言い方が成立するのと同じ話です。--波定 2010年5月21日 (金) 13:40 (UTC)返信
スピーディーな応答ありがとうございます。私としては改名には必ずしも反対というわけではないのですが、「「信教の自由」という権利がどのように取り扱われているか、というニュアンス」であるなら、なおのこと加筆をした上での改名が好ましいのではないか、と考えている次第です。(これを書かなければいけないという意味ではなく、一例として挙げるならば)パキスタンの国法における信教の自由への言及、パキスタン政府や国民の態度、それぞれの宗教の信徒の他宗教への態度等々。現状では宗教的迫害のことしか書かれておらず、「パキスタンにおける信教の自由」という記事が持つことを期待されてしかるべき様々な方面への目配り、バランスが欠けており、内容として不十分と思われます。現状の内容である宗教的迫害は「信教の自由」についての記述を構成する事象、要素の一つでしかありません。それはまるで戦国時代について述べただけの記事に「日本の歴史」という名を与えるようなものです。--110.5.28.203 2010年5月23日 (日) 04:43 (UTC)返信
「信教の自由」が実社会でどう扱われているか、というのは大部分を占めるものと考えられます。このメイン部分を抑えているが故に「パキスタンにおける信教の自由」で問題ないと考えています。現状の版は今のパキスタンにおける「信教の自由」の状況をざっと俯瞰したもの(「概要」的なもの)に見えます。実際110.5.28.203さんの挙げた一例にふれている内容です。部分部分の詳細が欠けていたり、不十分であることは提案した改名先のタイトルを不適切にはしない、と考えます。もちろん改名後に詳細部分を充実させることは非常に有益です。--波定 2010年5月23日 (日) 06:35 (UTC)返信
記事を読み返してみましたが、波定さんのおっしゃるように、現状の版は(多少の不備を孕みつつも)「信教の自由」というものがどのように扱われてきたか、そして扱われているかをざっと俯瞰したようなものとしても通用するもののようにも見えなくもないです。少し考えてみましたが、結論として、今後の加筆による記述の充実への期待を篭めつつ賛成に回らせていただきます。--110.5.28.203 2010年5月26日 (水) 11:27 (UTC)返信
改名を行い、英語版の一部を訳して本文に入れました。--波定 2010年5月27日 (木) 05:56 (UTC)返信
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