ノート:マンサ・ムーサ

最新のコメント:6 年前 | トピック:外部リンク修正 | 投稿者:InternetArchiveBot

改名提案 編集

  • この有名な王は伝えられる名前が何種類もあり日本の中等教育で用いられる歴史教科書でも名称の揺れがあるようです。したがって項目名として何が最適かは難しい問題と思われます。現在の項目名「マンサ・ムーサ」は、「認知度が高い」という点では適していると思われます。しかしながら、王の中の王「マンサー」の称号を持ち、「ムーサー」という名前の人物がマリ帝国の中だけでも他に二人いますので、将来的に明確性や首尾一貫性を担保できなくなる可能性があります。そこで本項の改名が、ウィキペディア日本語版の西アフリカ史関連の記事の品質水準の向上にいくらか有意義だと思われたもので、ここで提案するに至りました。問題は何に改名するかですが、例えば英語版にならって、「ムーサー1世_(マリ帝国)」はいかがでしょうか。改名するべきか否かという論点も含めて、広くご意見をお待ちしております。一ヶ月ほど経っても特に積極的な賛成がない場合は、提案を取り下げます。--QuirkyQuidnuncY会話2015年5月13日 (水) 10:18 (UTC)返信
  • この人物の表記について、ちょっと調べてみました。私が確認した日本語の書籍ではいずれも○代目の助数詞が省かれています。
    • 家島彦一『イブン・ジュバイルとイブン・バットゥータ』(世界史リブレット 人, 山川出版社, 2013年12月) - マンサ・ムーサ
    • 『アフリカ史』(新版世界各国史, 山川出版社, 2009年8月) - カンカン・ムーサ
    • 『アフリカを知る事典』新版収録(平凡社, 2010年11月) - マンサ・ムーサ
    • 『新イスラム事典』(平凡社, 2002年3月) - ムーサー
    • 『岩波イスラーム辞典』(岩波書店, 2002年2月) - マンサ・ムサ
    • 『世界伝記大事典 世界編』(桑原武夫編, ほるぷ出版, 1981年6月) - ムーサ
  • Wikipedia:記事名の付け方では、「何よりも「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」である必要があります。そしてその次に「その記事へのリンクを作成しやすいもの」」という指針が最初に挙げられています。「ムーサー1世_(マリ帝国)」という記事名は「曖昧ではない」ものの、読む側が「マリ帝国にはマンサの称号を持つムーサーという人物が複数いる」「西アフリカ史でしばしば言及される「マンサ・ムーサ」という人物がこの項目で述べられている最初にマンサとなったムーサーである」ことを判別できる知識を持っていることを前提にしているため、「最も理解しやすいもの」「その記事へのリンクを作成しやすいもの」では無いと感じました。そして、「認知度が高い」「曖昧でない」「首尾一貫している」といった指針を満たす基準の最後に記載されている「記事名を選ぶにあたっては、編集者の関心よりも読者の関心を、専門家よりも一般的な利用者の関心を重視してください。」という一文を踏まえると、「一般的な利用者が読むであろう事典、概説書」で使われている現行の記事名について「改名には反対しないが、「ムーサー1世」という表記が一般的ではない現状では積極的に変える必要性は無い」と考えます。(西アフリカ史についての関心を持つ編集者を増やさなければ、他地域に比べて編集者が極めて少ない西アフリカ史関連の記事の品質の向上はちょっと難しいです。比較的知名度が高く、かつ興味を引くエピソードを持ったマンサ・ムーサのような人物の記事名に認知度が低い名称を使うのは、西アフリカ史への入り口を狭めそうであまり良くないかなと思います)--オオミズナギドリ会話2015年5月22日 (金) 16:18 (UTC)返信
  • ウィキペディアでは改名するとリダイレクトが元の項目名には作成されることになっていたと思います。そうすると、本件改名は「記事へのリンクの作成のしやすさ」をそれほど阻害するものではないと思われます。改名前ページへのリンクが改名後ページへとリダイレクトされるのですから。とは言え、提案した名前に改名することにデメリットがありそうだという点、また、「マンサ・ムーサ」の項目名を維持すること自体にメリットがありそうだという点の二点について、なるほどと、納得しました。現時点での改名は止しておいた方が良さそうだと思い至りました(率直に言って、西アフリカ史関連の記事の充実のためにやるべきことは、本項の改名よりも重要なことが他にたくさんあるだろうとも思いました)。したがって、今回の提案は取り下げようと思います。このたびは丁寧に文献まで調べてご意見下さり、ありがとうございました。QuirkyQuidnuncY会話2015年5月25日 (月) 14:37 (UTC)返信

内容の正確性について 編集

2016年3月現在の版に、内容が正確でないことが指摘されて久しい研究に基づく記載がいくつかあることに気づきましたので、取り急ぎ注意喚起のためにテンプレートタグを貼りました。改善されるまで、以下の点に注意してお読みください。

  • Maurice Delafosse の研究 Haut-Senegal Niger L'histoire 関連
    • 「中世のマンディンカ族は母系制社会だった」→ Levtzion ほかによる有力な反論あり
    • 「マリ帝国に摂政をおく習わしがあった」→ 根拠のない Delfosse の恣意的解釈であるとの有力な反論あり
    • 「ソンガイの王子を養育した」→ Monteil による異説あり

上記以外にも、個人的に「本当かなあ?」と思う点が二点ほどあるので、根拠をご存知の方は是非ご教示下さい。

  • ワラタを通るメッカ巡礼のルートは、内藤陽介 『マリ近現代史』pp.11-15 に記載がある内容であるが、マフムード・カティの一次史料にあるトンブクトゥを通るルートと矛盾がある。ワラタを通るルートが何に依拠したのか不明です。ご存知の方は是非ご教示下さい。著者内藤氏本人に聞くのが一番早そうではありますが。
  • 「トンブクトゥがモシ族の攻撃を受けたが、これを撃退したムーサ王はトンブクトゥに城壁を築いた」という話が、赤阪2010など専門の歴史研究者が「ハウサ諸国の都市国家群はトンブクトゥやガオと異なり城壁で囲まれている」と指摘する内容と矛盾する。

スタブ状態が残念だったので、2015年の春から夏頃にかけて、英語版と仏語版からあまり深く考えないで翻訳してしまい、いろいろな問題を含む記事になってしまいました。記事の改善に役立つ情報提供や、提案をしていただけると助かります。--QuirkyQuidnuncY会話2016年3月10日 (木) 07:30 (UTC)返信

外部リンク修正 編集

編集者の皆さんこんにちは、

マンサ・ムーサ」上の2個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年9月19日 (火) 20:23 (UTC)返信

ページ「マンサ・ムーサ」に戻る。