ノート:ミスカワイヒ

最新のコメント:4 年前 | トピック:翻訳告知 | 投稿者:Omotecho

翻訳告知 編集

編集履歴から転記します。

--Omotecho会話2020年1月6日 (月) 05:56 (UTC)返信

  @Omotecho:さんにお聞きしたいのですが、この「翻訳告知」は何のためにしていますか。ノートページは標準名前空間のページと分離して移動できるので、著作権者の表示を担保する仕組みとしては不安定です。--ねをなふみそね会話2020年1月20日 (月) 11:35 (UTC)返信
  ねをなふみそねさん、初めまして。人物伝をいつも読ませていただいております。さて唐突にテンプレートを貼ったせいでご不審に思われたようでしたらご容赦ください。ミスカワイヒ伝を拝読し、たまたま15年ほど前に読んだ小説で、武に訴えずとも知性で国の境を超える立身のダイナミックさに触れたのですが、それを思い出して興奮しました。ただただ好奇心に引きずられ次の見出しまで立ててしまいました。ご指摘のとおり、翻訳と、翻訳元が漏らした出典考証の両立を軽んじたため、ご負担を押し付けたと反省します。
お尋ねの件ですが説明文書の字義どおり使うならば、翻訳に複数名が加筆する場合にどの版か明らかになる点を便利と教わりました。そうでしたか、ノートページは分離して移動されると、翻訳記事の版継承に役立たなくなってしまうのですね、そこまで配慮できずよいことを教わりました。もし左記でご説明が足りないようでしたら、教えてください。作業中に手を止めてコメントをいただきありがとうございます。--Omotecho会話2020年1月20日 (月) 13:02 (UTC)返信
  ご返信ありがとうございます。帰属表示については、ガイドラインにあたるWikipedia:翻訳のガイドライン要約欄でのリンクが必須とされています。「ガイドライン」よりは格が落ちる「手引書」にあたるWikipedia:ウィキペディア内でのコピーでは、{{翻訳告知}}について言及がありますが、具体的にどのように帰属表示を行うべきか書かれておらず、別文書に委ねられています。Wikipedia:翻訳のガイドラインに従うべきでしょう。要約欄を使用してすでに帰属表示を行っている場合にノートページで同一内容の帰属表示をすることにメリットは、あまりないでしょうね。翻訳元の特定の執筆者の貢献を特にたたえたいような場合は意味があると思いますが・・・。記事と一体不可分の履歴に表示される要約と違って、ノートページと記事とのつながりは、記事名だけですから、移動でつながりが消える場合がありますし、帰属表示のあるノートページに例えば法に触れる書き込みがあればその版が削除されてしまい帰属表示できなくなりますし、いろんな意味で不安定です。
そもそも、Wikipedia:著作権を見ると、GFDL 4条1項2文B号 に著作物の二次利用の際には著作者が誰であるのかを「タイトル・ページにおいて明記しなければ」ならないらしいんで、Wikipedia の場合は、Wikipedia:著作権GFDL総則の記載によると「ページ等」における「本文」つまり標準名前空間のページが「タイトル・ページ」に当たると考えられるため、ノートのような付属的なページに著作者表示しただけでは GFDL における二次利用ができるようにはならないらしいです。--ねをなふみそね会話2020年1月23日 (木) 10:43 (UTC)返信
ねをなふみそねさん、お返事が遅くなりました。よくわかりました。もとより他意はなく、Omotechoが筆を入れるにつきどの版を見たか示すようかつて他所で教わったので、それをなぞったつもりでいたのですが、何度かご説明を読み、はたと気づきました。 「日本語初版」などとご執筆をまるで自分の訳のように書いてしまいました。Omotechoが加筆した版を示したつもりが、とんだご無礼をお許しください。恥の上塗りで記事名前空間に空編集、差分で参照した英語特定版を要約欄で示しました。不足がありましたら教えてくださると幸いです。--Omotecho会話2020年1月30日 (木) 15:23 (UTC)返信

950年代のバクダード知識人との交流 編集

この人物のバクダード時代(963年に至る12年間)、知識人ほかと盛んに交流をもったと読み取り、興味を持ちました。ミスカワイヒの名前はラーズィー歴史書一覧ガレノスにも見えます。そうは申せイスラーム世界の基本を知らないので、大ざっぱにどれくらいの重鎮たちもしくは若手が相手だったか判りたいのが本心です。

以下、本文に掲出された人名を転記します。これら人名は翻訳元の英語の本文にはないようで、日本語ウィキペディア全文検索では、まったく歯が立ちません。イスラームの人名に疎いのがヒットしなかった原因かと思います。

可能であれば職位や専門を補い、本文に反映されてはいかがでしょうか。

--Omotecho会話2020年1月6日 (月) 09:25 (UTC) / 修正 2020年1月6日 (月) 09:33 (UTC)返信

  「マンティキー(論理学者)」というあだ名のある人は、ar:أبو سليمان السجستاني ですね。全員有名人です。 enwp か、すくなくとも arwp に立項されているのを確認しています。加筆するときに仮リンクを埋め込むまで手が回らなったので、しばらくの間、Omotecho さんの知的好奇心を満足させられない状態ですが、しばらくお待ちください。あと、出典なしで不用意に加筆するのはよくないので、無出典加筆よりは無説明のほうがましかなと思います。--ねをなふみそね会話2020年1月20日 (月) 12:02 (UTC)返信
  やはりそうでしたか、アラビア語で「論理学者」と呼ばれる人があり、交流をもったと教わるにつけ、ミスカワイヒの人望の高さをますます感じております。おっしゃるとおり出典を探すのは骨が折れますし、思えば千年前でもあり、とんでもない質問をしてしまいましたが、おかげで広々と視界が開け、ありがたかったです。なんどもお手を止めてはいけませんので、ご教示のリンクを機械翻訳で読みます。お返事を誠にありがとうございました。--Omotecho会話2020年1月21日 (火) 08:09 (UTC)返信
  一部訂正。全員ウィキペディアに記事があって当然の有名人であることは間違いないのですが、イブン・サァダーンだけ記事がありませんでした。以下、簡単にご紹介。
  • アブー・ハイヤーン・タウヒーディー en:Abū Hayyān al-Tawhīdī
  • アーミリー(en:Abu al-Hassan al-Amiri)はホラーサーン出身の哲学者でバグダードに2回ほど上京しましたが、田舎者扱いされていい思いはしなかったようです(タウヒーディーによる)。晩年にサーマーン朝の宰相アブル・フサイン・ウトビーに論文を捧げています。
  • イブン・サァダーン Abu 'Abdallah ibn Sa'dan ライイ政権のアミール・アドゥードゥッダウラの宰相でタウヒーディーやミスカワイヒのパトロンです。arwp, enwp, fawp にも記事なし。
  • 財務長官(サーヒブ)イブン・アッバード en:Sahib ibn Abbad
  • 論理学者(マンティキー)アブー・スライマーン ar:أبو سليمان السجستاني
  • 時代の驚異(バディーウッザマーン)はハマザーニーで立項されています。ハマダーン出身者はたくさんおり、基本的にニスバだけで記事名にするのは避けるべきとされているので(WP:NC#PERSON)、改名したほうがいいでしょうね。ティムール朝の「時代の驚異王子」もバディーウッザマーン・ミールザーのほうが適切。ティムール朝の歴史の中だけでは「バディーウッザマーン」だけで自他識別性があるのですが、昔から現代までスコープに入っている百科事典では、その記事名は元ネタの人物に譲るべき。
  • フワーリズミーは、9世紀の数学者とよく混同されることでも有名な百科全書家 en:Muhammad ibn Ahmad al-Khwarizmi のことだと思ったのですが、enwp ではクンヤがアブー・アブドゥッラーになっています。アブー・バクルでもアブー・アブドゥッラーでもなく、アブー・ザイドが正しいようですが・・・?クンヤを2以上持つ場合もあるので、どれも間違いではない可能性もあります。
以上、ご参考になれば幸いです。--ねをなふみそね会話2020年1月24日 (金) 11:21 (UTC)返信
  ご教授いただきありがとうございます。家名や土地の名前を名乗る人の探し方はさっぱりわかりませんでしたが、こうして示していただき、文化の豊かさにまたしても触れることができました。立項されたおかげでこれほどの知の集団に連なる人物を初めて知りました。それにしましてもご説明を読むにつけ、どの人物も重みがあり、簡略に述べるにはそうとうの時間をかけてくださったと拝察します。ねをなふみそねさんには門外漢にもわかるよう、ずいぶんお時間をかけてくださり恐れ入ります。好奇心などと失礼な理由でお尋ねしたとますます猛省しますが、読む幸いをおおいに感じております。百科事典の奥深さを見せていただき、ほんとうにありがとうございます。--Omotecho会話2020年1月30日 (木) 14:50 (UTC)返信
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