ノート:ルイージ・ドゥランド・デ・ラ・ペンネ
最新のコメント:6 か月前 | トピック:第6MAS戦隊 | 投稿者:秋山夕子
大戦末期の1945年5月にターラントで授与式が行われた
編集大戦末期の1945年5月にターラントで授与式が行われたとあります。
ドイツ降伏の月(1945年5月)に授与式が行われたとは考えにくいため、出典の該当の箇所を機械翻訳(イタリア語⇒日本語)すると「1945年3月にターラントで行われたルイジ・デュラン・ド・ラ・ペンヌへの勲章の授与は、歴史的な出来事の契機となりました」となりました。
正しくは、「大戦末期の1945年3月にターラントで授与式が行われた」ではないでしょうか?--高堂升平(会話) 2024年4月9日 (火) 00:25 (UTC)
- 参考として該当箇所の英訳です。「The delivery of the decoration to Luigi Durand de la Penne took place in Taranto in March 1945 and was the occasion of a historic episode: it was in fact the commander of the Valiant himself in 1941, Captain Sir Charles Morgan, who became admiral, who decorated Luigi Durand de la Penne, at the invitation of the lieutenant of the Kingdom Umberto of Savoy who presided over the ceremony.」--高堂升平(会話) 2024年4月9日 (火) 05:07 (UTC)
第6MAS戦隊
編集イタリア語頁だと第1MAS小隊ないし第10MAS小隊、英語ページだと第10MAS小隊のようです。 おそらく https://en.wikipedia.org/wiki/Decima_Flottiglia_MAS 第10MAS小隊 が正しいのではないかと。--秋山夕子(会話) 2024年4月9日 (火) 01:30 (UTC)
- 上記ページによりますと、1939年に第1MAS小隊が結成され、1941年に第10MAS小隊に再編されたようです。--秋山夕子(会話) 2024年4月15日 (月) 03:24 (UTC)
その際デ・ラ・ペンネに武勇黄金勲章を渡したのは、皇太子ウンベルトの招待により出席した元「ヴァリアント」艦長モーガン中将であった
編集皇太子ウンベルトは王太子ウンベルトがより適切ではないでしょうか?
その根拠として、『1943年7月24日、ディーノ・グランディ伯爵がムッソリーニの解任決議を提出すると、王国大評議会(国会)は圧倒的多数でこれを可決したヴィットーリオ・エマヌエーレ3世は冷淡な態度で接し、クーデター派による彼の解任と軟禁を後押しした。また新たな首相にバドリオ元帥を指名すると共に、アルバニア王とエチオピア皇帝の地位からの退位を宣言した。』(Wikipedia)とあり、ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世はエチオピア皇帝から退位しています。--高堂升平(会話) 2024年4月13日 (土) 00:49 (UTC)