ノート:レイテ沖海戦/過去ログ1

最新のコメント:13 年前 | トピック:(無題) | 投稿者:伏儀

(無題) 編集

以下は捷一号作戦に至る背景と、その作戦自体の異常性を理解していないのでは無いか?

>また、本作戦の特徴である「主力戦艦隊を航空支援なしで突入させるため、
>機動艦隊を囮にする」という作戦は、
>今後人類史上行われる可能性は極めて少ないであろう。

また、現在の海軍作戦と、当時、既に組織的戦闘能力を喪失していた
日本海軍の作戦を同列に論じるのは不適切である。以上削除理由です。


サマール島沖を行動する戦艦大和利根の写真説明は間違ってますよ。
あれは、前方が武藏で後方が利根です。(10月24日午後三時過ぎの写真です)
出典は「光人社・写真太平洋戦争第四巻」(145ページ)
利根艦長黛大佐は落後した武蔵の後方に占位し護衛する様、栗田長官から指示を受けております。 また、艦長達の太平洋戦争では、戦後取材を受けた、黛艦長は座乗している利根から武藏の最後を見取ったと回想しております。 それと私見ですが、あまりにも参考史料が貧弱ではないですか? 比島沖海戦(エンガノ岬沖・サマール島沖・シブヤン海・スリガオ海)は日本海軍最後の組織戦ではありません、それはマリアナ沖海戦までです。比島沖海戦は日本海軍が有機的戦闘能力を喪失した海戦です。せめて参考書籍の巻末に載っている参考文献を精読する必要があるのではないですか?


作戦行動に日付が入っていると分かりやすいのですが。以上の署名の無いコメントは、220.218.217.103(会話履歴whois)氏が[2004年7月14日 (水) 17:50 (UTC)]に投稿したものです。

スリガオ海峡海戦時に米軍の第7艦隊(火力支援の戦艦)は弾薬欠乏のはず。以上の署名の無いコメントは、218.119.22.32(会話履歴whois)氏が[2005年9月1日 (木) 10:20 (UTC)]に投稿したものです。

  • (コメント)スリガオ海峡夜戦によって、徹甲弾を射耗したという話ですね。夜戦時にはありました。(個人的には本当に射耗したかどうかも、アメリカ資料で確認できればいいかなとは思いますが。)--Los688 2005年9月1日 (木) 10:29 (UTC)

日本語ベタで自分が情けない。今、確認したところ、「五日間にわたる陸上砲撃とスリガオ海峡戦のため、弾薬欠乏す」とあります。また、同海峡戦で戦艦群は弾薬節約令によりWV十六斉射、Tennessee十三、California九、Maryland六とも記載がありました。詳しい弾薬搭載量・使用量はわかりませんが、陸上砲撃でかなり消耗していたと思わせる記載です。文献を確認できる方がいましたら、確認お願いします。当方が参考にしたのは文庫ですが、文庫名も書くべきでしょうか?以上の署名の無いコメントは、218.119.22.32(会話履歴whois)氏が[2005年9月1日 (木) 12:22 (UTC)]に投稿したものです。

  • 「オルデンドルフ艦隊は一般的に言われるほど弾薬を消耗していたわけではなく」の部分も怪しいですね。「謎の反転問題」のアメリカ側の視点から重要な項だと思います。私は小沢中将座乗「瑞鶴」の通信機故障とその説に関して触れられていない点が疑問です。--Sabulyn 2005年9月12日 (月) 15:17 (UTC)
  • 上記の通信機故障とその説、は謎の反転問題に書くつもりでしたが記述はそこまで及んでいません。また、バイト制限がでたのでアメリカ軍の空襲による日本軍艦隊の被害と両軍の海戦後の艦隊動向に関する記述をすでに投稿した部分を含めて別の節に書こうとしましたが、ページ自体がかなり長くなってしまうと思ったので止めました。Sabulyn 2005年12月18日 (日) 15:07 (UTC)

残弾問題 編集

第七艦隊所属の戦艦郡の詳細な残弾数なら、「やっぱり勝てない?太平洋戦争」に記載されていますよ。以上の署名の無いコメントは、220.59.212.189(会話履歴whois)氏が[2006年1月19日 (木) 22:02 (UTC)]に投稿したものです。

この大和_(戦艦)の編集がこの編集で、レイテ沖海戦に追加されておりますが、これは"「やっぱり勝てない?太平洋戦争」2005年 ISBN 4-89063-186-0"が出典でしょうか。もし、そうなら参考文献の節を設けて、"半藤一利『レイテ沖海戦』2001年 ISBN 4-569-57616-8"と併記しようと思います。--sabulyn 2006年11月24日 (金) 11:52 (UTC)
時間はかかりましたが出典を確認し、節を設けました。確かかどうかわかりませんが、カナの表記からアメリカ海軍の参加艦艇も同書を参考にしたように見受けられます。--sabulyn 2007年1月3日 (水) 14:23 (UTC)

大日本帝国の呼び名および国旗について 編集

ミッドウェー海戦でも同提案しております。交戦勢力の欄に日本のことを「大日本帝国」と記述していますが、当時の正式国名は日本であり「大日本帝国」は国号のひとつにしかすぎないので「日本」と修正したいと思います。 また国旗に「旭日旗」を用いていますが大日本帝国にあるように当時の国旗も「日章旗」です。これも修正したほうがいいと思いますがいかがでしょうか?真珠湾攻撃マリアナ沖海戦に関しても同様です--マナー向上委員会 2007年2月28日 (水) 17:29 (UTC)

文中では「日本海軍」となっているのでこれも整合がとれません。--マナー向上委員会 2007年3月1日 (木) 09:38 (UTC)

皆様の関心が薄いようですのでこの提案は取り下げさせていただきます。--Harpoon マナー向上委員会 2007年4月6日 (金) 15:53 (UTC)

非常に共感いたします。取り下げる必要はないと思います。私も気付いたら修正していきたいと思います。--KASAGI 2008年2月9日 (土) 06:03 (UTC)

捷一号作戦」からのリダイレクト 編集

そもそも捷一号作戦は、日本軍が連合軍に対する防衛作戦で、フィリピン地域全般においての戦闘なのであって、レイテ沖海戦だけでなくルソン島やレイテ島、その他の島々における陸戦も含めます。ですから、「捷一号作戦」からのリダイレクトは削除した方がよいと思うのですが、いかがでしょうか。Wikipedia:リダイレクトの削除依頼 2007年8月に提案する前に皆様の意見を頂きたく存じます。-- 2007年8月3日 (金) 06:48 (UTC)

「参加艦艇」の項目、編成について  編集

第17駆逐隊に含まれている清霜は二水戦第2駆逐隊(五代目)、 本来第4駆逐隊の野分は第10戦隊本隊の指揮下にそれぞれ収まるのではないでしょうか。 第17駆逐隊には、この時点で既に戦没している谷風を含めた5隻しか所属していないと思うのですが。--58.90.172.166 2007年8月7日 (火) 17:12 (UTC)

独自研究について 編集

前提として

  • 個人サイト,掲示板は出典としてはみなされません。[1]
  • さらにWikipediaは特定の説を否定するための演説場所でもありません。[2]

以上を理解したうえで編集をお願いします。--BlueSkyWhiteMoon 2008年1月12日 (土) 22:12 (UTC)

Wikipedia:検証可能性Wikipedia:独自研究は載せないWikipedia:中立的な観点を理解していないのは貴方の方なんですね。例えば「第7艦隊には弾薬がない」といっていたのに調べたらあった、46センチ砲について知っていると思い込んでいたら知らなかったと言う事実が出てきたわけだから。これは電報論争なんかとは意味合いが全く違いますよ。ついでに言えば数は明らかでなくてもそこそこの弾薬があるという話は『やっぱり勝てない』以前からレイテ戦記等に記載されてます。それとも半藤氏、谷氏等に関して疑似科学扱いで残しますか?新説がでてきたのに過去のドキュメンタリーに手を加えないで出版し続けていると言うのは単なる検証可能な事実に過ぎない。中立性とは関係の無い話です。それと、貴方のようにスタブだけ張って満足する人間は何回か見てきましたが、本件で上記の無関係な項目までスタブを貼って物言いをつけるということは、少なくとも多少は文献をお調べになられたのでしょうか?いいですか?独自研究スタブなど貼るだけなら誰だって出来るし「よく考えてください」も定番の文句に過ぎないのです。具体的な疑問点について指摘していただかない事にはこちらとしても対処のしようが有りませんね。それを行うにはレイテ海戦についての一定の知識は必要です。貴方の物言いは曖昧な事だらけなんですね。
また、2ちゃんねるは誰もが簡単に閲覧する事ができ、それ自体についての項目も複数存在しているわけです。:当方が行った編集では不特定多数が利用する掲示板で行われている行為について述べたのであって意見の紹介ではない。この件についてどうしても貴方の[3]の解釈によって削除すると言うのであれば例えば軍事板 の記述の大半も独自研究で削除する事になるが、それを放置してきた一方でレイテ海戦に反応した理由は何か?貴方には説明の必要があります。貴方のルール解釈によれば当然軍事板は殆どの記述が検証可能性を満たさない理屈になりますからね。最低限その位はちゃんと整理していただけるんですよね?
まさか、触れられたくないことは隠して軍事板の項の記述の大半を残すなどという、特定の説の補強行為をなされるつもりではないですよね。それはフェアではないし、敵のために書くにも反しているわけだから。
iwami 2008年1月13日 (日) 00:17 (UTC)

もう一度言いましょう。掲示板やブログは「自主公表された情報源」とみなされ出典扱いにはなりません。ウェブサイトを作ったり本を自費出版したりした上で、自分がある分野の専門家だと主張することは誰にでもできます。そんな情報源を信頼していたらWikipediaの信憑性は地に落ちます。すなわち中立性以前の問題です。というかWikipedia:検証可能性はWikipediaの基本方針なのでそれを全く理解せず暴走している貴方こそ説明の義務があると思われます。1人でキレてないで悪態を垂れるならWikipedia:検証可能性のノートにでも書いたらどうでしょう?私は規則にしたがっているだけなので何を言われても知りませんので。--BlueSkyWhiteMoon 2008年1月13日 (日) 16:38 (UTC)

相変わらず抽象的な話ばかりしているようですが、「1人でキレてないで悪態を垂れる」などと悪態をたれてないで具体的な疑問点の箇条書きをやらないと対処のしようがない、と書いた筈です。それと、ウェブサイト、「意見の紹介」には使ってないですが、どこに目を付けておられるんでしょうか。「寝坊したのが栗田のせい」とか「試験の点数が悪いのも栗田のせい」とか「彼女に振られたのが栗田のせい」などというのは単なる中傷・匿名に名を借りたリンチであって意見ではない。これが第一点。次に、貴方がその理屈を頑なに通すつもりなら軍事板の項を掃除してから出直して来いと言ってる、これが第二点。「意見」と言えば、貴方こそ文献にリストアップしたもののうち数冊でもチェックされたのでしょうか?町の図書館、amazon、それにちょっと大きめの本屋を使えば安価にすぐ入手できるものもある筈ですが。まあ私は都道府県立、国レベルの図書館とかも使ってチェックしてますがそこまでしろとは言わないですよ。いずれにせよ口先だけのWikipedia:検証可能性を言う前に少しは実践を伴った行動が欲しいところですね。少しは。「自主公表された情報源」などと断定している時点でまともに記事を読んでないのは明らかだが。量的に突っ込んだ検討をした半藤、佐藤氏をはじめ、この件については色々な評論家が思いつく限りの発言をしている。私はそういう事を材料に記事を書いて、要所で出典もマークアップしているだけの話。今まで思いつきで書き足してきた連中に比べればはるかにマシだと思うが?
iwami 2008年1月14日 (月) 12:22 (UTC)
軍事板の項はこの議論とは何の関係もありません。ちゃんとした文献があるならその文献から情報を書き移せば良いだけ。禁止されているのにどこどこの掲示板では悪質な批判がなされている~とか書くから問題になる。少し頭が悪いのではないですか。--BlueSkyWhiteMoon 2008年1月14日 (月) 16:31 (UTC)
>軍事板の項はこの議論とは何の関係もありません。
いいえ、大有りです。その項目は貴方のWikipedia:検証可能性に対する解釈基準を当て嵌めるならば、「ちゃんとした文献」なしにコテハンや盛り上がってるスレなど好き放題の書き散らしが行われてます。他の作戦の項なども出所不明の自説がオンパレードですがそれらはどうしたのですか?何もしてないようですが。しかし、貴方は当項目という特定の項目に対してWikipedia:検証可能性の解釈を押し付ける一方で、他のもっと根本的な項目に対して甘く査定しているという二重基準を適用している。GFDLだったかと思うが、創作物の項であるならば、記述者解釈が混じる事を許容している筈が、これらはどれも創作物の項ではない。
>どこどこの掲示板では悪質な批判がなされている
これも違う。そんな事は書いてません。批判はどんな的外れ、疑似科学、歴史捏造的な内容であれ意見にカテゴライズされるのは仰るとおり。しかし、中傷は意見ではない。テストの点数や朝寝坊とレイテ海戦や栗田健男氏の事跡には何の関連性も無い。「朝寝坊したのが栗田のせい」などという記述を批判や意見だと解釈するのですか?(他の人向けにも書いておくがネタという言い訳は認めがたいものがある)
ついでに言えば私は事実と疑問を提示しただけだが、貴方はそれに対して「頭が悪い」と中傷で返してきましたね。それと、自説のなんたらというのはどうされたんですか?独自研究のスタブ貼ったりしてたでしょ。編集してて気付いたが歪んだ記述が実に多い。元の状態では「立案者すら作戦目的を理解していなかった」などと書かれてましたが、そんな主張をしている文献は無いですね。批判派でも精精「目的が複数設定された」「目的が曖昧になった」「小柳の意見は表向きの隠れ蓑で本当は艦隊決戦がしたいだけだったのだろう」といった評者の推測を含んだ批評が殆どです。一応別冊宝島とか仮想戦記みたいなあんまり真っ当な考察をしていないものまで当たってみたら、佐藤大輔なんかでも「電報は栗田の頭の中にだけ存在した」とか粗雑で電波なことを書いている事例もありますが。いずれにせよ私が編集するまではソースがマークアップされてなかったし歪められていた。一方貴方はソースに当たってチェックする事もしておられない一方、草取りだけは熱心に行っている。それもこれこれの点についてと特定せず、節や段落全体にスタブを貼っただけ。エスパーか天才の頭ならそういう貼付だけで問題点の全てが理解出来るのかもしれないですが、私には理解できません。他の人にも分からないでしょう。ノートの目次の他の項目を見てみなさい。ちゃんと問題点が特定されている。だから私も具体的な疑問点の列挙を求めているのに貴方は一向にしていないですね。極めて怠惰で後ろ向きの姿勢としか言いようがない。
iwami 2008年1月14日 (月) 18:35 (UTC)
閲覧・編集が少ない為に放置されている記事は沢山あります。要はそういう例があるからどの記事でも好き放題やってよいと言いたいのでしょう。論外です。--BlueSkyWhiteMoon 2008年1月14日 (月) 19:42 (UTC)
発言を捏造するのはやめなさい。「好き放題編集してもいい」とは述べていない。出典を大量に提示して本文も検証可能性を高めた記述に変えているのに「好き放題編集してもいい」と解釈するというのは異常ですね。今までの連中こそ好き放題に編集してきたわけで、私はそれを修正しいる訳です。また、「朝寝坊したのが栗田のせい」などという類の記述を多人数で行うことは意見ではなく中傷だと言っている。それと相変わらず具体的な指摘がないが、聞かれたことに対してはちゃんと回答するのが誠意というもの。それとも意味も考えず、知識もないままスタブを貼った自らの失態について知らん顔で通すつもりなのですか?楽して草取りで自分好みの意見だけを残そうという貴方の恣意的な姿勢、二重基準こそ論外だが。貴方が一体何のソースを提供したというのか。呆れて物も言えませんね。
iwami 2008年1月14日 (月) 22:32 (UTC)
軍事板の項目が酷い状態なのに何もしていないのはおかしい、だからこっちで出典を求められるのはおかしいと書いたのは貴方です。ちなみに他記事が自説のオンパレードとか言ってますが「調べればすぐ事実とわかるような情報(あるいは歴史書に載っている程度の)」に出典は要りませんので、他の記事の大部分はこれによって構成されています。なのでいま議論になっている部分(素人の推測や評価の入り混じった独自研究や、この説は間違っていて誰が何を批判してるからそれを止めるべきだ~といった自説の主張)とは関係ありません。 というかここで何を言ってもWikipediaの基本的な方針は変わりないので互いにルールに乗っ取った編集をしましょう。相手をするのも面倒臭くなってきたし。--BlueSkyWhiteMoon 2008年1月15日 (火) 00:09 (UTC)
>「調べればすぐ事実とわかるような情報(あるいは歴史書に載っている程度の)」に出典は要りません
とんでもない話だ。貴方は最初反転関連の項目全てにスタブをつけましたね。自分でやったことすら無視ですか。あなた自身が何も調べてないからそういうことをしたんでしょ。あなたが無知で調べるという意味においても無能だったということです。それに、議論の中核の部分である作戦目的の評価も間違った引用がなされているほど酷い出来だったじゃないですか。「作戦目的を全く理解していなかった」なんて書いている専門家は実質的にいません。
>いま議論になっている部分(素人の推測や評価の入り混じった独自研究や、この説は間違っていて誰が何を批判してるからそれを止めるべきだ~といった自説の主張)とは関係ありません。
ですからそれを貴方は指摘できてないでしょ。
>この説は間違っていて誰が何を批判してるからそれを止めるべきだ~といった自説の主張
また発言の捏造ですか。私が来る前の記事の状態がそうだったんであって、私はそれにソースをつけて整理してるんですよ。ちゃんと両論併記にしてね。つまり貴方は検証能力がないということで宜しいですか?具体的な点の指摘もせず、クロスチェックのソース一つ持って来れず、「この説は間違っていて」などという抽象的な話ばかりで具体的な提示が一切ない、これは無能だということです。それにしても散々都合の悪い質問には答えなかった挙句「出典は要りません」とはわらかしてくれますね。掲示板云々よりもっと酷い話だ。流石、自称頭のいい人間は言うことが違う。大体、第7艦隊の弾薬数のところにもスタブ貼ってましたが、その話、この貧弱ノートですら議論済みで私も殆ど手を加えてませんでした。ノートも見てないんですね。しかも、モリソンの太平洋海戦史、レイテ戦記、レイテ沖海戦(佐藤版他複数)、やっぱり勝てない等々、戦艦の弾薬数を載せてる文献は複数あるんですよ(全部米軍各艦の戦闘報告書が大元なのだろうが)。そういうチェックをしないあなたに「ルールに乗っ取った編集」を遂行する能力は期待できません。人に向かって「頭が悪い」と書いたり発言を捏造したりノートの議論すら「面倒くさい」などという前に、ちゃんと記事を書くと言う行為がいかに地道で面倒な作業なのかを自覚しなさい
iwami 2008年1月15日 (火) 06:24 (UTC)

記事が肥大化しすぎ 編集

いくつかの項を別記事として移動する必要があると思います。余りに重過ぎます。--紅美鈴 2008年3月27日 (木) 18:27 (UTC)

申し訳有りません。私が言うのも何なので誰かが言うまで放置しておりました。とりあえず、台湾沖航空戦は既にある別記事を利用する形になってます。それとですね、この記事は普通に書けばどうしても肥大化するのは避けられませんね。理由は

  1. 複数の海戦の総称である
  2. 主要な4つの海戦の範疇に収まらない部分でも戦闘が起きている(パラワン水道の被雷、特別攻撃隊、プリンストン沈没)
  3. 当事者及び戦史家による議論の対象となり、評価が割れている。
  4. 評価に関係するが、マリアナ沖海戦以後の背景・経緯との関連が深い
  5. 日米共に9月以降は継続ないし立て続けの作戦行動をとり、同一作戦の一環として認識していること。

です。ついでに申上げれば、どうせ他の海戦も序列やら背景やらが抜けぬけなのでいずれどんどん巨大化してバランス的には大差なくなります。

分割するのであれば、一つの戦闘として比較的纏まっている4つの海戦を切り離すことはありえるでしょう。但し、同時進行であるものや、前の海戦との時系列関係は絶対に加筆する必要がありますが。個人的には関係部隊が多いので戦闘序列も別記事にしても良いと思いますね。テレビ番組などで登場人物欄を分割するのと似た発想ですが。あと、評価の部分ですが、上でスケープゴート相手に行なった記述でも分かるとおり、昨年手をつけた段階では酷いものでしたね。編集者の主観がそのままでしたし、作戦目的を全く理解していないなど、どの文献にも無い評価が書かれていたりと(著名人複数に掃き溜めとも言われたことのある掲示板にはあるのかもしれないですが)、とにかく酷かった。検証可能性の観点から考えるならば、誰がどの書籍で何を書いたのかは明記するべきです。同じ批判でもニュアンスの違いもありますし。実はまだ書いてないですが、アメリカで起きたブルズランを巡る論争は、野次馬がモリソンだったり、ハルゼー以外の軍関係者も各々の立場上彼に対する接し方が異なっており、そういういきさつを述べた文献も複数あります。なのできちんと説明の必要がある(英語版はブルズランの重み付けがより大きいですし、英語が読めない日本語話者は多数派なのですから留意はするべきでしょう)。あと、先回りして書いておきますと評価的事項について削除するとまた思いつきで適当な事かかれるだけです。まあ伊藤正徳の言葉が「適切であると思われる」とかいう駄文は馬鹿なIPが加筆したものなので要らないでしょうが、南京や慰安婦と同じく現状の出典明記の併記方式が望ましいでしょう。基本的に各論者の意見は文献にあげた各々の著書ですし適宜明示してもいますから。

脚注をつけなかったのは、分割後にしようと思ったからなんですね。今の脚注は他の人がつけたものですが、戦闘経過の説明って本来の使用法じゃないでしょ。出典明記の為に使うものです。僭越ではありますが編集される方はこのことも、きちっと認識していただきたい。 岩見浩造 2008年4月10日 (木) 13:34 (UTC)

無線通信について 編集

以下は1級無線技術士の横槍です。

  • 「無電の送受信の仕組みについて佐藤は、無電は一回だけ相手を呼び出すのではなく、呼び出しは無しで定められた周波数によって数回に渡り連続打電するものであり、呼び出しが一日半に及ぶ事もあると述べた」という記述は根拠が皆無です。当時は概ね「放送系」と「通信系」で分かれており、例えば潜行中の潜水艦等で応答不能な場合や、多数の艦艇に一方的に伝達する場合は、東京通信隊等が各地の送信所を管制して一括送信をしていました。この場合は多数の周波数で繰り返し送信し、伝達の確実を期したのは当然ですし、後刻適宜受信確認を送ればよい訳です。しかし、例えば小沢艦隊から栗田艦隊に重要電報を送信する時に、そういう手順を取る事は有り得ません。アジア歴史資料センターのサイトで検索すれば、当時の周波数表や通信規程が幾らでも見付かります。だいたい個別の電報を全部一方的に送りっ放しにして、受信されたかも確認せずに放置するような仕組みを作る間抜けがいる訳がありません。
  • 「また、大和のアンテナは地上に設置されたものに比べて設置上の制約が大きく、10m程度のものであり、しかも常に移動するという悪条件である」というのも関連性が不明です。当時の送受信アンテナは送信用と受信用を艦体の前後部に分けて設置し、さらに使用波長に適する長さで複数を展張していました(「造艦テクノロジー物語」深田正雄など)。そもそも艦艇の受信能力が陸上固定局より低いのはハナから承知なんで、それに合わせて最初から送信電力その他を設定している訳です。大和のような大型艦でも小さすぎるアンテナしか張れないのなら、小型艦艇は全部通信不能になります。
  • 「且つはじめて聞く送信員の打電を処理しなければならなかった事で通信能力が低下していた」とありますが、そもそも普段から各地の艦艇や通信隊と交信していれば、初めて聴く通信士など幾らでもいた筈です。
  • 「これに関連して松井宗明によれば、艦艇は秘匿性が要求されたり遠距離の特定海域から本国に通信する場合などは八木アンテナやログペリアンテナなどの指向性アンテナを用いるが、通常は無指向性アンテナを使用する。マストや上部構造物を利用して展張する展張型アンテナは、ほぼ無指向性である(艦船用の通信設備についての一般的な解説は『世界の艦船1989年2月号』「特集・艦隊通信」他に拠る)」に関してですが、当時は対数周期アンテナなんて未だ無かったので、余計な記述では?それに短波で指向性アンテナを使うと秘匿性が向上すると言う意味がいまいち理解できません。今の技術でも、艦艇に搭載可能な大きさの短波のアンテナで、それ程鋭い指向性なんて出やしませんよ。--Castlefield 2008年7月23日 (水) 11:19 (UTC)
暫くチェックをしておりませんで返事が遅れました。あと長いのはご勘弁。まず、全般的なことから。
記述に当たっては、必ずしも整合性をとる作業は行っておりません。貴方の指摘された点の内幾つかは佐藤和正氏の解説によって執筆しましたが、佐藤氏は基本的には戦史家であり、いわゆるテクニカルライターや当事者のではないことは理解しております。しかし、佐藤氏の著作で証言された方も必ずしも技術士官とは限りませんし、証言が誤って解釈された可能性もあります。
さらに言えば、たとえば小柳富次参謀長が『栗田艦隊』で「無線機が故障して通信が出来なかった」と言うような、実際の状況とはやや異なるニュアンスで書いたように、過程や原因は誤っているが結果の部分は戦闘詳報などと一致しているケースもあります(艦から発信が出来なかった原因としてアンテナや電源、振動のような外部環境の問題もあります。なお、小柳氏は兵科出身でした)。ですから文献提示の上、単純に羅列としたわけです。
海戦の経緯について、通信が影響したという形式になっているにもかかわらず、実際にはヤキ1カの電文に限定するような節のみが存在するように、記事をレイアウトしてしまったことも、原因かと思います。通信問題はこの件に限定されないので、その辺うまい説明方を考える必要がありそうですね。
なお、自分で記述しておいて言うのもなんですが、本来は軍事通信・海上通信の仕組みや習慣などの記事が充実し、かつ記事相互のリンクも豊富にとられているのが、百科事典としては本来の姿であろうかと思います。しかし、そういう記述が可能な人の母数は多くありません。さらに言えば、無線工学通信工学等に包含される諸記事間でも十分にリンクが整っているわけではありません(軍事に限らなくても直交周波数分割多重方式のように、一般的な内容でも半年ほどの間に事実上の立ち上げをしているものがあります)。なお、私はアジア歴史資料センターの件は知りませんでしたが、『海軍作戦通信史』や『船の科学』に連載されていた通信関連の雑誌記事等を集めて、その種の記事で出来る範囲で軍の通信に関して資料提示は行う予定でした(パープル暗号などは良い目標になりますね。)。
「1級無線技術士」という資格は存じていないのですが、専門的な資格であろうと推察します。根拠を示して突っ込みを入れて頂けるのは喜ばしいことです。が、そうした事情を勘案して頂けないと修正のやりようがありません。ノート:インピーダンス整合ノート:増幅回路ノート:振幅変調のような事態が、しばしば無線関係記事(というか理系記事全般)では見られるので、それだけは避けたいところです。
さて、具体的な点について
>「無電の送受信の仕組み~述べた」という記述は根拠が皆無です。
根拠が皆無、と貴方が感じられるのは自由ですが、そういう説明を行ったのは佐藤和正氏です。
>アジア歴史資料センターのサイトで検索すれば、当時の周波数表や通信規程が幾らでも見付かります。
>小沢艦隊から栗田艦隊に重要電報を送信する時に、そういう手順を取る事は有り得ません。
具体的な文書名を挙げていただけますか?より本文の記述も系統だったものになると思いますし、根拠の面でも強化されます。手順についても、貴方は通信系のプロセスを熟知されているようですので、是非説明していただけると助かります。
>だいたい個別の電報を全部一方的に送りっ放しにして、受信されたかも確認せずに放置するような仕組みを作る間抜けがいる訳がありません。
一方が無電封止を行っている際の取り扱いはどうなっていたのでしょうか?貴方の記述を見る限り、最後が推定文になっているようですが、記述の際にはそこら辺もポイントとなると思われます。
>短波で指向性アンテナを使うと秘匿性が向上すると言う意味がいまいち理解できません。
>当時は対数周期アンテナなんて未だ無かった
八木、ログペリアンテナについてはよく考えずに引証した当方のミスであり、多忙により修正できていませんでした。申し訳ありません。記述自体は世界の艦船を参考にしたものでした。しかし、両アンテナとも指向性は持ってますし、ふじ (砕氷艦)の船首マストの短波アンテナや、リンク11用のツインファンアンテナが短波(及びレイアウトの制約)の事例です。ダイポールアンテナも指向性は持ちます。また、艦船の場合周囲に導体の構造物も存在してますね。
>また、大和のアンテナは地上に設置されたものに比べて設置上の制約が大きく~関連性が不明
ちょっと見直してみましたが『世界の艦船』、『軍艦メカ物語』、いずれにもレイアウトの制約に関して説明があります。大和はシブヤン海海戦の際自艦の砲火でアンテナを損傷してますし、射撃の振動で通信室の一つが使用不能になったとあります(原洋『決戦戦艦大和の全貌』)短波のうち中波に近い側や中長波では干渉を避けるための十分な離隔が取れません。上述の構造物自体の影響もありますし、船体の大きさだけで安易に判断する事は出来ません(サイパン (空母)のようにフラットな訳ではないですから)。
>そもそも艦艇の受信能力が陸上固定局より低いのはハナから承知
これも大半の一般読者は承知の上ではありません。多くの通信技術が同様だと思います。そうした一部の狭い世界での前提は、説明することが必要になってきます。
>「且つはじめて聞く~幾らでもいた筈です。
これも佐藤和正氏の『レイテ沖海戦』に記載があります。後半の「筈」というのは識者で主張した人はいますか?掲載するにはもう一捻り工夫が必要か、新たな資料を示すことが必要と思われますし、打鍵の癖についての記述は色々な場所で聞く以上、仮に掲載するとしても併記が望ましいでしょう。
追記。泉江三『日本の戦艦 下』P308にも空中線電力や受信機の分類、周波数帯の性格がありましたね。
>また佐藤は「ヤキ1カ」を栗田艦隊を敵艦隊と誤認した味方航空機によるものと推定している。
↑この文章は内容がダブってますね。すぐは無理と思いますが記事分割の件も棚上げのまま放置してましたし、今度推敲する時消しておきましょう。
>通信能力に優れた戦艦などを旗艦とするべきことが戦訓として指摘されていた。
↑台湾の高雄の通信隊に関して強化するべきだった旨の記述はあったはずですが、戦艦はミスです。通信能力に優れた艦だったかな?今度神野氏の『空母瑞鶴』をまた借りてこないといけません。
岩見浩造 2008年7月31日 (木) 11:26 (UTC)

59.157.176.1氏の編集について 編集

岩見です。申し訳ありませんが、追加編集された部分について、出典情報の不足と独自研究があると判断したため、コメントアウトしました。

まず、乗組員の供述、猛訓練、38,000mでの発砲についての出典を何らかの方法で明らかにして下さい。また猛訓練の全てが実弾射撃を伴っていたとは思えないですし、遠距離射撃を重視した訓練を何ヶ月も継続した旨の記述は知りません。作戦目的に合わせて訓練内容も変更されているのですが、如何でしょうか。情報そのものは有益なものであり、文章のバランスを考えて組み込めれば良いと思います。

次に独自研究です。

  • 長門型戦艦の41センチ砲より大口径なのは「見れば一目瞭然」
  • 大和型の九四式四〇糎砲を、長門型の三年式四〇糎砲と同じだと認識していたという可能性はない。
  • 頻繁に発砲してなお「長門と同じ」だと思うわけがない。
  • 上記のような「砲の性能はよくわからないけど、適当に撃ってみた」「艦隊司令部が麾下の戦艦の能力を把握していない」という可能性はごく低いものと考えられる。

全て、述語が主観で結語されており、59.157.176.1氏の独自研究ですね。貴殿は、ノート:大和 (戦艦)等で独自研究について批判しているのですから、御自身の行為をもう一度御考えになられると良いと思います。

ついでながら、各点について述べさせていただきますと、長門型戦艦に執心されているようですが、連装砲と3連装砲の大きさを同列に比較するのは如何なものかと思います。学研の書籍をお読みになるほど知っておられるのならば、尾栓、俯仰機構等により砲塔の大きさがことなることなども当然知っている筈ですよね。また、ドイツ、アメリカは第一次大戦期、第二次大戦期に同一口径の戦艦を建造していますし、イギリスは御存知のように金剛を売った約20年後にキングジョージ5世を建造していますが、砲の型式は異なります。中小口径砲は言うまでもありませんね。時が空けば新形式を開発することは珍しい話ではない。多くの例で砲身長の方の口径も変化していますし、外筒の太さも違った筈です。それだけの要素の変化があって尚、当然のように三年式四〇糎砲と型式を名指しできるだけの思い込みがあったかのような、また、私や「レイテ戦記」等の参考文献がそうした思い込みをしていたかのような、勝手な前提を付加する理由を御教示ください。更に言えば、大和型戦艦の主砲型式は三年式四〇糎砲ではなく九十四式四〇糎砲だった筈です。

なお、噂レベルで予想できた「かも知れない」と言うことと、組織として必要な情報を必要な部署にきちんと提供していたから知っていたということは、大いに意味が異なります。評論家達が考える巨砲のアウトレンジ攻撃には後者の情報が不可欠なのに現実にはそれが与えられていない。そのことを対比した文章に、前者の理屈を必死に並べても意味が無いのですが如何でしょうか。また、貴殿が加筆した文中に「上記」とある部分の編集の殆どは私の記述が元になっていますが、どこに「砲の性能はよくわからないけど、適当に撃ってみた」と書かれているのでしょうか。また、推理ごっこと栗田氏等上級者の証言と、どちらが記述に値するのか、もう一度良く熟考していただきたい。

また、自分の書きたいことに夢中にならず、改行などに注意を払っていただきたいのですが、如何でしょうか。

最後に、46センチ砲、アウトレンジに執着してきたのは、当事者ではなく、妄想を肥大化させた無能小説家や無能評論家達であることも御理解いただけると幸いです。勿論本文には無能などとは書きませんがね。

岩見浩造 2008年11月27日 (木) 13:32 (UTC)

利用者:Shun Zero氏の重複編集について 編集

まず下記の単語

  • >帝国日本海軍
  • >帝国日本陸軍航空
  • >16飛行団
こういった単語、日本語として一般的ではないですよね。貴方が編集されたパイロットの記事もそうですが、文全体がどこかの英文を翻訳エンジンで和訳したように見受けられます。貴方はプログラミング言語が使えるそうですが、日本語も自由自在に使いこなせるように努力されてから編集するというのはどうでしょうか。
  • >熊野の船首をもぎとり、鈴谷 (重巡洋艦)をも雷撃、2隻を戦闘不能にして退けた。
鈴谷は駆逐艦の雷撃で損傷したのではありません。艦上機です。そして既述です。
  • >少年ダビデが巨人ゴリアテを倒し祖国を救ったような戦闘は終わった。
ネタ元の文章をそのまま使ったのですか?ダビデとゴリアテの煽情的な例えが必要な描写とは思えませんし、「祖国」という記述はWikipediaに相応しくありません。
  • >左端には戦艦大和の森田艦長が無言で立っていた。
森下艦長でしょ。背後霊ですか。

次に無駄な記述について

  • >小型駆逐艦サミュエル・B・ロバーツは、大きさ10倍、装甲50倍の帝国日本海軍 鳥海 (重巡洋艦)に突進した。
こういう記述が何箇所かありますけど両者の属する艦級の記事でスペックを調べれば分かることで、何倍の大きさだとかはわざわざ書く意味があるのでしょうか?
  • 栗田が小沢の元を戦後に見舞った件
こういうことは人物の記事に記載する内容かと思われます。既に栗田健男の記事にて記述がありますし、本記事には無関係ではないでしょうか。

結局のところ、貴方が加筆した分で本記事に有用なのは、栗田艦隊が追撃を打ち切った際のスプレイグ提督の状況判断と護衛空母郡の受けた人的損害程度かと。

それと、どの提督がどんな評価をされたといった内容を、偏って記述するのはおやめください。何とかのひとつ覚えみたいに戦艦大和って連呼するのもどうかと思います。他にも色々指摘したいところがあるんですけどとにかく既に何が書かれているか、何を書くかについて、よく考えて下さい。貴方が加筆された内容の9割方は重複しているか、間違っているか、本記事に書くには不適切なので不要です。

岩見浩造 2008年12月26日 (金) 16:29 (UTC)

おなじことを46行にわたり利用者ページのノートに記述してありましたので、内容的に即するこちらに転記いたします。よろしくお願いいたします。(最初の「他の方も薄々感じて・・・」は別の方のフレーズで、今の個人ノートからはどなたかが削除されたご様子です)
利用者ページのノートに書かれた「レイテ沖海戦の議論」文章の引越し、ここから
岩見浩造と申します。レイテ沖海戦について、サマール沖での戦闘と栗田艦隊の反転を中心に加筆されたようですが、当該の殆どの記述が既に重複しているため一旦コメントアウトしました。また、Wikipediaは編集者が主観的な評価を行う場ではありません。貴方の加筆された記述はそのような表現が多数見受けられます。編集に際しては、全体の構成をよく見た上で自分が何をなすべきか熟考して投稿してください。よろしくお願いします。
岩見浩造 2008年12月26日 (金) 15:45 (UTC)
他の方も薄々感じておられるのことではないかと思いますので、長いですが御容赦を。
まず、貴方が一番おかしいのは、記事の流れを無視して特定の部隊について独立した記述を行っていることです。本記事の目次を見れば分かるように「4 海戦の推移」でサマール沖の戦闘は取り扱っていますし栗田艦隊以外の日米艦隊についてもほぼ時系列に沿って記述されている訳です。海戦について説明した後何故末尾で同じ話を繰り返す必要があるのか理解に苦しみます。
貴方の加筆された内容には確かに日本陸軍の航空機がマッカーサーを銃撃した等今までなかった記述もありますが、大半は重複しており不要なものです。
なお、日本語を母語とする者が執筆している以上、日本で知られた文献、日本側の情報に偏ってしまうのは仕方のないことです。もっとも、以前私が編集する際には日本側の記述量にあわせて米側の記述を増やすようにしていますが。だからと言って、同じ内容を取り扱った項目を重複して立てる必要はありません。今回のサマール沖の件などは、「日本側はこうであった、対して米側はこうであった」等々、文を工夫してまとめれば良いレベルの問題です。
>米海軍、米陸軍が間接的に参加
レイテ島への侵攻は米軍主導で行われ、その際には日本艦隊の撃滅も重要な目的でしたし、物理的にも、指揮系統などソフト面から見ても、直接参加して戦闘しています。ソフト面について補足しますと戦争指導層での論争の影響もあって海兵隊は参加していませんし、米軍の枠内でも建前は陸海の合同作戦、本音としてはニミッツとマッカーサーの権力闘争の面があったことは真っ当にこの海戦をテーマとした文献なら取り上げる話です。
>「事実記述」や「証言」ではない戦後の二次的研究成果
いえ、事実記述と証言、回顧を引証して構成してあります。そして、貴方が提示された文献も戦後の回顧録や第3者によるエースのバイオグラフィですよね。「二次的研究成果」が何を指すのか不明ですが、新しい一次資料を発見して紹介することは戦史研究では珍しくありません。そして、ある出来事に対して論争、風説の流布等が行われた場合にはその経緯自体もまた記述に値します。それは他の編集者に、各関係者、各文献の立ち位置を意識させるのにも有効であり、Wikipediaの基本方針遵守を促すことにもなります。貴方が編集された部分は見出しが既に扇情的である上、特定の評価のみを紹介していますね。
>大和の史上空前の強力な長射程砲は、世界最大のアメリカ艦隊との決戦のために存在していた[9]。栗田提督はこの反転で、大和設計の精神を裏切ったことになった。
例えばこういう表現のことです。捷号作戦は別に大和のために実施した訳ではありません。こういうのを手段と目的の取り違えと言うんです。また日本海軍自体がアウトレンジ一本槍だった訳でないことも知られています。レイテ海戦をテーマとした書籍執筆者で遠距離砲戦一辺倒であったかのような記述をしてきたのは大岡昇平、半藤一利、佐藤和正など貴方の言う「二次的研究」をしている外部の者ですが。そして、大和が艦隊決戦用兵器だったなんてことは、大和型戦艦の記事で書いておけばよいことであり、比較的良く知られた事実です。つまりこれは無意味な出典の貼付ですね。ジョンストン他の米艦の活躍も変に細かく書いてありますが、どうしても書きたいのであればダーター (SS-227)のように、個艦をテーマとした記事で行うべきではないのですか。
>延々と豊富
一口にレイテ海戦といっても、おおまかに4つの海戦に分けられますし、パラワン水道での雷撃など小事件も多く、栗田艦隊だけで19回も空襲を受けています。少なくとも貴方が肥え太らせておられる赤松貞明のような場末の一軍人よりは、戦局、つまり世の中への影響が大きい出来事を取り扱っている以上、分量が増えるのは仕方がないことです。しかしそれは、前哨戦である台湾沖航空戦のように、個々のイベントを記事分割してしまえば済む話です。
有益な新情報が含まれていたことは理解していますが、正直、本海戦や文章について、今一度御一考していただきたいと思います。
岩見浩造 2008年12月27日 (土) 09:33 (UTC)
利用者ページのノートに書かれた「レイテ沖海戦の議論」文章の引越し、ここまで。
以上、さきほど利用者ページのノートにレイテ沖海戦の記述についてのかなり激しい表現のDiscussionが記述されていたのを見ましたので、元の個人の利用者ページのノートにはこちらへのリンクを残して、記述内容は編集削除はせず本題のこちらに転記させていただきました。よろしくお願いいたします。--Shun Zero 2009年5月7日 (木) 18:21 (UTC)
ページ「レイテ沖海戦/過去ログ1」に戻る。