ノート:三島通庸

最新のコメント:4 か月前 | トピック:山形県令を転任した時期について | 投稿者:カラジチ

「三島通庸が登場する大衆文化作品一覧」の記事について 編集

ノート:卜部兼好#「卜部兼好が登場する大衆文化作品一覧」の記事についてと同様の案件なのですが、「三島通庸が登場する大衆文化作品一覧」という記事が本記事とは独立して立項されています。しかし7項目しかリストアップされておらず、現在の記述量ではWikipedia:削除の方針のケースE(百科事典的な記事に成長する見込みのないもの)に該当していると思われます。登場作品に関する情報源としてこのようなサイトが確認できましたが、このサイトの記載内容がすべて事実としても12項目しか列挙できないことになり、やはり単独記事としては成立しないように思われます。

もし一覧記事に加筆すべき内容がありましたらご教示いただけると幸いです。ノート:三島通庸が登場する大衆文化作品一覧では誰の目にも止まらないためこちらに提起いたします。加筆すべき内容がなければ上記のケースEとして削除依頼に提出したいと思います。--Dream100会話2023年11月2日 (木) 09:52 (UTC)返信

山形県令を転任した時期について 編集

加波山事件の三行目に

>明治18年(1886年)、山形県令を転任。なお、後任は柴原和である。

とあるが、那須野ヶ原開拓の最後の行にも

>明治15年(1882年)7月、転任。なお、後任は折田平内である。

とあり、矛盾しています。折田平内のページを確認したところ、1886年に山形県令を転任したのは三島通庸ではなく折田平内であるようなので、加波山事件のほうを削除しました。--カラジチ会話2024年1月12日 (金) 01:50 (UTC)返信

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